記憶障害物ってズルいよなあ。

アホの子、という言い方をされていたアレなのだけど。


「ヒロイン」に、「枷」を課すのは物語上しばしばある、あったのだけど、それが極めて個人的なものでありかつ「主人公」にしか解けないという根拠付けし易いのが。


いや全然嫌いじゃないのですけどね。


efであったアレに近いけど、アレだと、「重い」んですよね。作品上、「必ず来る展開」が見えている訳ですし最初から。
それよか、どれぐらい続くかわかりませんが、アレの解決ってのはおそらく治癒後にどう展開させるかなので、若干昔の物語の作り方(その後が見えるエンディング)に近いような気もします。


ちょっと前に、「京アニのヒロインがアホの子とか出した前田の影響が~」とありましたけど、不幸属性の作り方という意味では、その手法使ってないんですよ。


余談になりますが、出て来る人が全員トラウマ背負ってるフリーゲームで、
非常に記憶に残っているのに、トラウムブルグ7番地って所の、「Bye」というのがあります。自分がやったのはWeb版なのですが、製品版が手に入るなら手に入れたいなあ、とは思うぐらいのものでした。
うん、まあ、ノベルゲー好きじゃない人にはちょっとつらいかもしれないけどね。
ただ、まあ、やっぱり「障害」って、どうしても「重い」んですよね。シナリオとしてはグイグイ引っ張るとは思うんだけど、その重さは逆に物語読んでいる中において、不自由さも感じさせるものではあります(まあ本当に現実は辛いというのはありますが、現実が書かれている訳ではなく、ただ辛い物語展開の方に持ってくもんなので)。


しばしば「シリアスな物語、人をグイグイ引っ張るようなの」がいい作品と言われるのですが、自分にとっては、「物語の類型の一つ」でしかないです。
不幸の物語は、しばしばポエムとセットなのですが、それは、物語内の現実はかなりシンプルに動かざるを得ないのでその不自由さに合わせて物語の中の人がポエムやり始めるんですよねえ。
というような、「テンプレ」の一つなので、そこまで大げさに「感動」するものではないです。「感動」に向けて強力なのはそうなのですが。