過労の話。

過労の事実。

ヒトの労働時間と過労には因果関係が認められる。

「俺たち100時間残業しても大丈夫だった!」「エリートたちは!」という主張もありますが、実際の所、人間が労働出来る時間は、勤務時間内でもそう多くはありません。
労働と時間に関する研究というのは色々ありますが、もう単純に人間のハードウェアも壊れますし、脳も脳内麻薬漬け状態を辞められなくなって壊れます。
過労は生活習慣にも様々な悪影響を及ぼしていると思われます。現在認められている「過労と心血管イベント」「過労と精神疾患」以外に、「過労と糖尿病」なんかもソロソロかなあとは思います。
また、「過労」ですが、「長時間労働だけが問題なのではありません」。これは元からですが、「夜間勤務」、「不規則勤務」は、人間の体のサイクルに悪影響を及ぼします。「悪環境下での労働」なども、ストレスの要因になります。

過労死統計

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000069063.pdf
近年も増加中、とはなっていませんが、近年減少傾向にある、とも言いづらい所があります。
日本人全体を見た場合には労働時間は減っていますが、非正規労働者が増えていて、実態把握が難しいのではないか、不規則勤務などの問題が発生しているのではないかなど、色々と考慮が必要になっています。
ついでながら、結構政府も対策を実施していますし、賃金の正当化というのもこの手の長期労働の改善の「策」であるはずなのですが、目覚ましい効果を発揮しているとは言い難いように思います。

余談:労働を「しない訳にはいかない」社会

このお話は、近代・現代とは何かという事を考えた時に、どうしても浮かび上がってくる問題ではあります。
但し、我々は中世に時代を逆行する事は出来ません。今、特定の国が自給自足の牧歌的な社会を実現したとしても、その社会が完全閉鎖的でない以上、資本主義の軛を抜け出す事は出来ません。
マル経っぽい話になってますが、労働や資本が貨幣によって容易に交換される世の中ではという事になるので、共産主義も大きくは資本主義の定義から抜け出せているようには思ってないという風に考えています。田舎だと少なくとも昭和初期でも物々交換程度で、「カネ」を持ってないんですよねえ。
資本を持っているヒトも、また、資本を増大しなければという強い動機を持っています。これは、政府の再分配機能が働いている御蔭でもあります。ありますが、その動機は結局の所、買われる側の労働者にも波及してます。かつては、地主が土地を貸し与えるという形で、まあ年一回回収する訳ですが、それが至る所に日常で、我々が「労働として常日頃影響を及ぼされる」という事でもあります。
ヒトは、近代から現代に至るまで、「機械化されています」。AIによって脅かされているのは、ほぼそういう「機械化された所」であり、「ヒトの生活の方が機械に近付いているだけ」だったりしますしね。
特に、海外との比較では、日本は他の先進国に比べて「平等化」は進んでいるけども「自由」は進んでないなあという気があります。「効率化」の話で、「便利なツールを造った」とかの視点が日本では強いんですが、そうじゃない、「バッチ組んでさっさと家に帰るのが、効率化」なんですがね。「手でやってた」のを「機械がやってるのを見守る」では、効率化ではないんですがねえと。

過労の無駄について。

ウチみたいな「ヒトの単価決めてやってる仕事」の場合、まあ、正直な所、人間の数で大体売上が決まります。それ以上の売上は、ツケに回ります。大体後でコストを支払う事になります。長時間労働させるからなんとかなる、ってな訳ではなく、単純に短期間しか保たないです。まあ、壊れた後に社会にぶん投げて社会のコストになってるというのもありますしね。
「機械としてヒトを見ても」、品質の違いはあれど、「使い過ぎたら壊れる」し、「慣らししないままガンガン使うと性能を発揮できないままになる」し、良い事ないんですがね。大体「長時間動きっぱなし用途では、過去のホストに負ける性能しか発揮出来ない」とかザラなので。


まあ実際金もらってやってる労働の大半が無駄で出来ているので、「そもそも労働を増やすための労働みたいなこのしょうもなさなんとかしてほしい」とか思いますが。