Phaじゃなくてpha。

私はphaとは一歳くらい年上で、熊野寮ではなく吉田寮の住人であったし、まあ、よく外から来た人が、こういう人たちを「使ったら素敵」とか思う事までは否定せんが。


社会から使われる事が苦手な人たちという認識でいた方がいいかと思う。


ああいう寮的なものに憧れるという人は一定数いるし、取材に来る人もいた(当時)。だが、その憧れ自体はファンタジーだと思った方がいい。
一定カネはいる。無論、生活の為に必要だという金額は、おそろしく低いが、結構高給かつ不定期なバイトの口は結構ある。十二分に人の助けで暮らしているし、人の助けをもらうには結構人付き合いもある。ある意味昭和なんだけど、昭和な所を維持している環境がある。
バイトだって、出版社のバイトが、某SF研のツテであったりした。マネキンのバイトは、確か熊野寮の人からあった。畳バイトは、今もいるかもしれんがゴーレムからだったかと思う。病院の夜勤バイト、眼科のバイト、とにかく人のツテ人集めみたいなのが、ソコソコある。
京都に何故か多かったPHPでサイト作るバイトや、飲み屋のバイト、京都一偏差値の高い清掃バイトなんかもある。


いわゆる、社会の中の、「同期の会話」みたいなものが苦手な人、を一般的にコミュ障とか言うっぽいのだが、実の所、社会にはそのコミュ障に似たような人がでも社会人として暮らしている土壌もあって、そのツテというのを受けられれば生きてく道は多少ながらある。
だが、その道は、ある意味蜘蛛の糸であり、数十人数百人が歩ける道となる事は本質として難しい。イレギュラールートが何本も空いている訳ではない。
良くも悪くも、「皿洗えばメシ食わせてくれる王将」とかそういうのがないとダメだし、そんなのほほんとした空気を作るには、「そんな旨くなくても客がある程度来てくれる」という緩さが支えてたりもする。


そうとは言っても、TVに出てる部分なんてほんの一握りであり、わりと「いる」のであんまり驚くものでもないとは思うんだがな。