ざっと。
この手の「同人文芸誌」について、この出来が適当であるとかってのは、そんなにこの手のを読んでいないので知らん。
四段組みの部分のテキストが、かなり読みづらかった。ただこのフォーマットって雑誌でもしばしばあるよね。
用語集の所はそれほどでも無かったので、一行の文字数と行数の感覚がかなり馴染まない(そもそも雑誌形態のものを自分は余り読まない。漫画も単行本派)。
あと、文章タイトルがやたら端っこ過ぎて、これが何の文章かというのが目に入らない。
一番馴染まないのが、「republic1963」が英語小文字で縦書で出て来る所。レビューの時には英語大文字なのだけど。著者名として目で見ていても頭の中に入って行かない。
記事の区切りが分かりづらいので、1個1個のコンテンツが認識し辛い。
とか思うが、こういう雑誌はこういうものかもしれんのでこんな感じで。
全体的に、余白の付け方が変な気はする。写真の入れ方も微妙とか、フォントとかも気にはなる。が、まあそれは置いておいて。
婚活アルティマニアと銘打ちつつ、しかし、これはアルティマニアにはなってない。
そもそも、アルティマニア、という場合の対象が、「我々が遭遇している"婚活しなければならない状況"」なのか、「現代にある程度構築されつつある"婚活"というシステムか」という辺りが微妙にずれている。まあ、アルティマニアとするには、この雑誌規模では無理だろう。
だけども各インタビューの話は散っていて、身内に近くなるほど話がグダグダ(あるいは、本を出すほどに話の骨格を持っている話者じゃないとグダグダ)な所がある。座談会は、どうも印象印象を語っていて、見事に婚活の神輿に載せられたまま彷徨っている人達に見えるし。
ただ、インタビュー自体の質は悪くない印象を受ける。しかしなあ。松永さんの原稿が異様に浮いているがアルティマニアとか言われたら松永さんぐらいの原稿をイメージするとは思うんだ。しかし、松永さんもまた婚活という話とはズレるのだけど。
白河桃子氏のインタビューはそれなりに首肯する所があった。が、一つ言わせてもらえば、現代は、「身近で見つけることが難しい」時代だ。
単純に女性が身近にいるかいないかではなく、過去のしきたりの話をすると、女性は隣村から呼び、男性はそれを以って一つの成人を迎える所がある。要はしがらみをぶった切るような所で結婚を成立させてたのだけど、それは何でかというと、まあ、男女のいざこざはやっぱり記憶されてしまうもんであり、変な話、結婚に至らなかった恋愛と結婚を分離して不干渉にするようなシステムになってた。
まあ。昔の男や女引きずったらロクな事ないわな、という所。
で、現代は、働き始めてから結婚という順序になっている事が多いので、元々嫁がいない人間関係に嫁を連れてきたり元々旦那がいない人間関係に旦那が来る事で微妙に距離感が変わったり、というのが面倒な事。
まあ、職場恋愛というのも、同期とかならいいんだろうけど、会社違いとかだと身分違いみたいになっててまたこう未婚の人が他にもいたりすると、ふとした職場の飲み会が、緊張感溢れる合コンになったりとか何とも言えない所がある。
食事断った女の人が職場にいると微妙な所があってなー。
そういう所で、「身近ではない」という部分が昔もあったし今も多少必要ではある。Facebookで婚活というのが一般的ではなく、婚活専用の何かが求められるのは、そういう隔たりの意味もあるのではないかと。
他にも、コラムの箇所もそれなりに読ませる部分はあった。
が、アルティマニアという形式そのものがイマイチなのかこのデータの取り方がイマイチなのかは分からないけど、「結局それで結婚出きんの?」という所はどうしようもなく触れられずに会話が続いている。(グダグダと感じる所)
「じゃあこうすればいいんじゃない?」という話も薄く、何か取り敢えず表に出ているデータを集めて、
「僕達の冒険はこれからだ!」をやっているような感じを全体からは受けた。
レビューについては、二歳の、「人に作品を紹介する気が全くない文章」が嗤えたぐらい。ある意味スタンスは歪みねえんだけど。
そもそものお題が微妙過ぎる気がせんでもないし。
総じて評価は辛く書いているが、なんつーか、同級生のライター(あんま知られてないが)とついつい比較してしまう所があって、まあ、そのせいだとは思う。
そいつの扱うネタはだいたいがオールドゲームなんだけど、まあ、あんま知られてないし、単著も多分ない。原作クレジットの漫画は一冊あるけど、二作とも連載休止だしなあ・・・・・・まあメジャーになる気がしない。
そいつが書いているようなレビューとかの記事と比べると、ポイントが分かりにくいんだよね。だた、そいつ、ポイントはフォントサイズを大きくしたり色変えたりするというある意味裏ワザを使ってはいるんだけど。
まあ、でも、今の時代は、こういう感じで、メリハリをつけた長い文章よりも、一つひとつのコンテンツを小さく作ってワサワサっと集める方が自然なのかも知れないなあとは思ったりもする。
もう、記事とかも、「スクラップブックを自分で作る為の素材」の一つとなっていくのかな、と。
以上。