「呪い」と「希望」。

「死ねばいいのに」タグに関する雑感 - 誰かの妄想・はてな版」を見て。

ハテブでは「死ねばいいのに」タグを使っている人が結構いますが、「死ね」とか「殺す」とかではないので殺意表明ではないのでしょうけど、明らかに呪詛なので止めた方がいいと思います。百歩譲って責任のある公人に対してならまあ使用するのも理解できないではないんですけども、私人に対しては本当にやめてほしいです。

「死ねばいいのに」タグに関する雑感 - 誰かの妄想・はてな版


希望は呪いに相転換する。
他人に「期待する」から、上手く他人が振る舞っていない時に「呪う」。
ボクは、他人に掛ける「期待」も呪いだと言っているけども。


呪いをやっていくほどに、「人を辞めていく」。
「社会、具体的には他人、隣人、仲間との、コミュニケーションを阻害する"壁"を作っていく」。
「見る側」から「見られる側」、そして穴に落ち込んで、他人から「見えなく」なっていく。


「弱者救済」の根っこには、「他人の事を思いやれる」という倫理観が横たわっているが、「弱者救済を素朴に考えている」と信じられるには、「他人の事を思いやれないといけない」。
が、「他人の事を思いやれない風に振舞っていると」、「結局は利己的に振舞っている」と思われ、「弱者救済にかこつけた、自己利益の為に振る舞う何か」と考えられるだろう。
バックラッシュの根源には、無能な味方が投げつけた"壁"が置かれている。
(ただ勘違いしてもらっては困るが、バックラッシュに対して正当性を与えたわけではない。無能同士は惹かれ合う運命とかそんなの)