また適当にお茶を濁すように、新垣某が賞賛されるようになりつつあるが、多分これからまた冬が来るだろうな。

わかりやすさが求められている―佐村河内氏の騒動から― - 最終防衛ライン2」を見つつ。


「あの曲はダメだと思ってました」
「いやいい曲なんですよ」
ゴーストライターはいい人なんです」


などと話になっているが。


ちなみに、まったく曲も番組も知らない。
知らないからこそ、今の状況「こそ」異常だなーとか言ってしまおう。


番組では一度も曲が流れない。流せない。著作権関連がまったく整理がついてないので。おそらく、グダグダのうちに、曲自体が存在しない事になるだろう。何とかなったとしても、まあ、いわくつきの音楽として、マニアな番組でしか使われないだろう。
その中で、長髪のオッサンとインスマス顔のオッサンの顔だけ流れてる。多分似たような顔の人は今後十年はその印象で語られるだろう。
オウムの麻原は、ぶっちゃけ、記憶の中からは薄れているし、それっぽいと言う「オウムの顔に馴染んでいる第一人者」の発言によって、似ているかどうかを印象づけられ、「そういえば・・・・・・」という風に印象を操作されたので、正直本当に似ているのかという事は判断つかない。雰囲気で言えば、全然そんな風には見えないし、オウムとはあんまり共通点もないように思うが。


佐村河内守だったかを、一生懸命「偽ベートーベン」とか印象を形作ろうとしていた、伊東某がいたが、そうすることによってクラシック世界が守られる訳でもなかろう。
大衆クラシック音楽みたいなジャンルに、どう考えても出来すぎなキャラという形で存在したキャラクターなのだけど、それすらマニアックなのに、NHKが光を当てた事によってどうしようもない形で継ぎ接ぎが露呈していった、という感はある。あるが、そうして見破った人はそんなにいなく、結局の所、今回の騒ぎで始めて気づいたという人は多いだろうしそれも間違っちゃいないと思う。
タイガージェットシンが結構紳士だとか、まあ、それは古いか。棚橋が意外とひどい人で女性にさされた事があるとかそんな感じ。うん、ちょっと違うな。
プロレスなら、ギミックという考え方もあるし、ヨシヒコみたいに徹底するやり方もある。が、クラシックにはそんなものはないし、誰もそんなギミックが仕込まれるとか考えてなかったろう。うん、聞いた時には自分もそう思った。
ところが、クラシックの人は、売るためには必要だったかも・売れたのはギミックのおかげも強い、という思想に凝り固まっているように思う。多分違う。鬼武者とかの別メディアで使われた事が大きいと思う。その別メディアに使われるのは、売り込みもロクにない場合にはそりゃ怪奇派選ばれてしまうとは思うけど。それなりに作曲してくる訳だし。
まあ、言うなれば、元の中の人が作った、としても十分に売れたと思う。


どちらかというと、中の人の都合で、あのキャラは18年間も使われ続けたんじゃなかろうかと思う。高潔の人、の演出にさ。
一曲一曲が売れた所で、彼の地位の保全にはならないしマイナスの効果だってある。そりゃクラシックの名門に在籍し続けゆくゆくは評論の方にいくほうが、人生設計としては「固い」よね。クラシックのコンテストとか、大衆音楽などとは無縁なので。大衆で認められたからクラシックで成功するとかないし。
それにさ、外側の人は代替可能なんだけど、中の人は代替不可だよ、あの関係だと。「自殺する」ぐらいしか脅しようがない訳だからさ。
すべての汚れ、メディアからの問い合わせに対応し、NHKの番組では作曲風景まで仕込んでるわけで、外側任された人も大変だったんじゃないかな。マジで。


まあ、それはともかくとして。
上みたいに、かなり意地の悪い解釈だけど、なんでそう考えたかというと、むしろそういう見方をすると、会見での発言の一言一句が説明しやすいからなんだよね。


けど、みんな会見の発言、都合のいい所を切り貼りするよね。会見の発言をまったくチェックしない人もいるだろうし。
「物語にはウンザリ」ではなくて、「もっと耳障りのいい物語、クラシックを真面目にやってた功名心のない人が発表の場を求めて彼のゴーストライターをやっていたという物語」を求めるんだよね。
「音楽そのものを評価する」も、これ一つの物語なんだよ。音楽の楽譜だって記号で、それらが組み合わさる音について、地球の音だの自然の音だのって評価があったりするっしょ?自分は本当に音楽を聞かないので、エンヤぐらいしかしんないけど、あんだけエコーとか使ってるのに自然とか関係させられる。それも物語なので、当然こんなガヤみたいな話も鑑賞に影響しないわけないじゃん。音楽そのものの評価って、純音楽とかいいそうな学芸肌の人は言いそうだけど、本当にどうなのそれ。コンサートホールはどんなものでもOKなの?音の響きだけ気にしてればいいの?言語だけが文脈を形作るなんてマヌケな話、イマドキ誰もしないよね?


既に、大衆音楽では、アイドルが歌うまいとかそんな事は売れる要素の一つでしかないって所はクリアされていて、作曲家が後ろにいることは当たり前になってるし、そうして売っているが、それとは別にオリジナルな形で頑張っているバンドもある。いくらオリコンで何枚売れようが、アイドルが歌手として評価が高いという事はない(いや歌がうまい事はマイナスではないが、売れてるから歌がうまいとはなってない)。
クラシックもまあ、そこら辺もうちっと考えなさいよ、という風にはなると思う。いや、怪奇派は流石になあ。これ、美少女だったらだいぶ外側にも優しい世論だった気がするし。


ま、なんにせよ、正直にしてないと、いわゆる社会的信用ってのの構築に失敗するわけだけど。
今後、そういったギミックは使えなくなりますし、クラシックのコンテストでいい成績をとった場合でも今後は信頼されなくなってくるだろうねえ。絶対音感とかも、疑われるんじゃないの?
信頼が失われてたら。やることなすこと疑われる訳ですよ。クラシックコンサート何位だーとか、本当に出来がいいのか信頼されなくなるし、今後クラシックで売れるかもとかの予測もマイナスに下げざるを得ないし。CDも手間かかるしその割に売れないとかになったら、今後企画も萎むんじゃないかな。
疑惑いっぱいのクラシックより、アイドルの方が人よべんじゃね?とか、結局の所新作なクラシックに対しての信頼感とかなくなってくんじゃないかな。音楽はいい、と考える人がいるとして、じゃあそういう人たちは結局の所CDでしか聞かないと思うし、みんなをコンサートホールに集めるには多少なりとも誠実な物語が必要な訳ですし。アニメの映画だって、元からのファンだけがいくわけじゃないじゃないですか。


あんまりまとまらないけど、まとめる気もなし。興味もない。これからもずぶずぶ沈んでいくだろうし、それを止めようとも思わんし。
誰も責任とんないんだったら、まあ責任とられない業界として、昨今のアイドル業界よりクソだねえとか思うだけ。