すぐさま答えが出るものではない。
超どうでもいい話だが、「捏造」か「取り違え」で、研究者の行く末が大きく異なるので、事態が長期化しますな。
外側としては、「詐欺かどうか」よりも、「論文が正しいのか間違ってるのか」がサッサと提示されるべきだと思われ。
改ざん・捏造だったとしても、研究者がその主体だったかどうかは、そう簡単に分かるもんではない。が、その辺りの追及は、個人的には全く興味が無い。手間暇かかるだけだし。
再現性が乏しい事について。
流石に発表から一年ぐらいは再現に苦労するだろうが、そういうノウハウは公表後にはそれなりに流布されるだろう。
でも、全世界の細胞生物学者が一年ぐらい引っ掻き回されるので疑惑はサッサと払拭されるべき。
ただ、実験室レベルでの再現が厳しい、のであれば、かんなり実用化に耐えないので、iPS細胞を置き換えるインパクトにはなかなかならない。手法が単純であればあるほど、問題になる。
発見の名誉
先行者でも、正しく検証出来ていない研究者は、発見者としての栄誉を失う。
その辺りの慎重さが科学者には必要であり、今回の件は、幾つかの知見を得られたと思う。
報道の過熱は、科学者と報道者の共犯関係による。
敢えて、共犯者、と書いた。無知、という事は、前提には置かないし議論ではそういう仮定を置いても仕方がない。
報道側は質問を考えるべき、であるし、科学者は無闇な解答を控えるべき、である。
いや、学術的な質問には答える必要はあるが、日常を語る必要はない上に、このタイミングでは有害無益である。
もんぺとか(´・ω・`)知らんがな。
本来は、そういう報道と科学者の間に入って報道を調整するのが、まあ広報だったりするんだが。
科学に限らないけど。
報道の過熱は、未検証な発見も検証された事になりがちになる。
フカシな論文を発表しておいて、後でデータ揃えるというアクロバティックな人もいるかも知れないが、止める方が良い。
見込で予算を確保するのは研究者にはとてもアリガチなのだけど、そういう見込が外れた為に捏造の道に入ってしまう、というのもアリガチだ。
事実上、元の論文の価値は意外と低かったという事にはなるだろうが、そういう霞のようなものを研究の価値としてしまっている現在の状況は、科学の営みとしてもマズイ状況ではなかろうか。