昔の政治屋さんの終わり。


「アベノミクスの終わり」解散で社会保障改革待ったなし
を見て。


「全体としてサイクルが破綻している」時に、一体どこを直すのかという観点は必要である。
であるが、パッチ当て作業自体が破綻している時に、さて、どうしたものやら。

本来問うべき争点というのは消費税増税そのものではなく、また消費税が財政再建にどう資するかでもなく、100兆円を超えて膨れ上がった社会保障費の抜本的な見直しと、年100万人を切るであろう新生児をいかに増やすかです。下手をすると、このまま日本の国力が衰退し、社会保障制度が破綻するぞということになると、それこそ「子供をもうけることが最大の社会保障」という時代に戻りかねません。敗戦もそうでしたが、そういう壁にいちいち強く頭をぶつけないと我が国は自らの変革を促すことはできないのでしょうか。

「アベノミクスの終わり」解散で社会保障改革待ったなし

「本来」とは大変に便利な言葉だが、この問題の要諦は、「真理は存在しない」所にある。
よくよく考えてみると、ここは「争点」ではない。


日本の政治に関して話す人は、いつも「争点」という言葉を勘違いして使っている。「自分が正しいと思う政策がある所」を「争点」として話すが、そこは「自分が勝つと思っている地点」であって、「争いがある所」ではない。


社会保障費が高い、というのは、相対的に考えると、日本は安い。
そのせいで、介護や医療(特に高齢)の費用が、不当なまでに値段が押さえられているという事がある。
御蔭で異常な程の少子高齢化を迎えているという事実に、多くの人がナカナカ気付かないという事にもなっている。
介護福祉産業が産業という形にならない原因でもある。


これからの日本は、例えばあなた達の子どもは、あなた達のオシメを替えるようなお仕事をする事が大事な仕事になる。
少子高齢化に抗う前に、もう少し少子高齢化社会用の産業構造を考えた方がいいと思うんだよね。