腐女子だから、という訳ではなあ。

同性愛者で腐女子をしている」を見て。
嫁が腐女子で、この頃腐女子同士の付き合いとか見ていると、考えてた事で一部ハマる所があったので書く。


あれは、いわゆる女性の男的振る舞い、というヤツだと考えている。
会話を聞いていると、「だぜ」とか、あんまり普段使いしない「男喋り」をしていたりするのだが、ある種の"悪漢を演じる"小道具として、実際の同性愛者の絡みが使われやすいように思う。
ホモホモ言う人達を見ていると、「同性愛に興味がある」というよりも、「同性愛に対して腐す男性のロールプレイ」しているように見える。
なんというか、「その会話の内容自体に意味をもたせている」のではなく、「私はこういう風に見られたい」「私をこういう風に見てくれ」というメッセージだろう。
そういうと、Web上の大抵の「日常会話」はそれに分類されてしまうかも知れないが、だからこそ、「会話の内容にツッコミ入れてものれんに腕押し」になるだろう。まあ、「知識」と「振る舞い」は別だ。幾らメタな概念として知っていたとしても、実の所振る舞いとしては、「ベッタベタな、女性の隠れコミュニティ」の中のそれ、でしかない。
また、増田の願いも、虚しいものである。
リアルとファンタジーは、「リアルがあるからこそのファンタジー」という関係にある。当然ながら、「リアルとは違う」が、その違いは次元が異なる「という風に考えていたらおそらく馬鹿馬鹿しくて描いていられない」。「ファンタジーの中にもリアルを見出すからこそ、感動したりする訳で」、逆にそういう割り込みに「影響を受けるように」、ファンタジーにリアルは影響を及ぼすものである。
とかいうとまたどこかでグノーシス主義とか言われそうだが、「楽園は必ず終わるが、それは楽園が楽園だから」である。多分そこの中に、「誰かにぶっ壊されるぐらいなら自分で壊す」という人もいそうだ。
あと、「所詮捏造」というのは、「楽園追放に際しての腐女子なりの『酸っぱい葡萄』メソッド」であり、まあ、いわゆる「所詮二次元」とかと同じ類で、個人的には「ダセえ」と思うが、そこら辺ロジックで抑えられるのではなく場の雰囲気でコントロールされているっぽい「会話」で求めるのは酷なのかもなと思ったりはする。


まあ、結局、みんな自分が可愛い。