今四十だが、こういう感覚はとうの昔にない。

僕ら“40男”が抱えているこれだけの憂鬱 (1/2) - ITmedia ビジネスオンライン
こういう事は考えないなあ。


箇条書きにする。

  1. 「僕ら」という感覚はない。
    1. 上はどこぞの会社の社長とかCEO、下は死人とかそんなのだし、そもそも「僕ら」といえるものは中高くらいまでで、大学が同じだからと言って同じような人生を得られる訳ではないというのが、就職氷河期を経験して考える事ではある。
  2. 「上の世代も下の世代も、それぞれそこそこのイメージを確立している」と「思うのなら」、ダラダラと上の世代や下の世代と比較せず普通にやればいいだけの話。
  3. 未来予想図、という発想は他メディアなんかでもしばしば見るが、二十の子じゃあるまいし、先行きそのもの(自分が進む未来)はそれほど博打には満ちていない。
    1. 無闇な博打でやるんじゃなくて、意図や意志で進む方向に動かしていくのが当たり前に分かってないといけないと思うがまあ。
    2. 計画的であろうが無計画であろうが、人の生きてく方向というのは直近で何やったという事によって繰り返し強化されてく。今更地位を投げ打ってやりたいことをやるとかってのは、若い人らを食わせななあと考えてる人間は無理であるし、そこまで我が強ければ何歳だろうが博打やってるだろう。
  4. 生き方のヒントとか言われても、出来るアドバイスは「で、どうしたいん?」以上ではない。