オープンワールド、という言葉と、海外のオープンワールドの現在の流行と、ゼルダのオープンワールドの話を。

何だかPV目当てみたいで面倒だなあ。
まあいいか。

オープンワールドとは何か。

歴史的にいうとハイドライドとか。
一定の背景世界をバックに、世界を旅して回る(スキなように)というやつ。
一応ストーリーがあったり、エンドコンテンツがあるけど、その途中については好きな風に遊べるし違うやり方でクリアする事が出来る。

海外のオープンワールドの話。

背景世界等をよりリアルに、オブジェクトを増やしたり、動作をより滑らかにしたり、ナニコレみたいなものまでさわれたりという方向にはなってる。
・・・・・・SAOとかについては、海外のこういうゲームしている人にはどう移ってるんだろうか。ある意味虚構色をすごく排除しようと頑張っていると思うんだけど、日本の場合には虚構のチープな部分には目を瞑る所がある。あるんだけど、海外の人ってどうなのかなあ。
いや、全く海外にそんな感じのがない訳じゃない。ニンジャスレイヤーとかもあるしね。
B級ホラーな路線だと、貞子vs伽椰子みたいなのと、フレディVSジェイソンみたいなのもあったしねえ。
ただ、見てないけど「ゲーム・オブ・スローンズ」とか、海外のファンタジーはカネかけたTVでやるハイファンタジー多い気がする。
ハリポタみたいなのは、流行りはするんだけど、中の主要キャラはものすごく常人の動きしかしないんだよねえ。ゲームに持ってきても多分なんか違う。

ゼルダオープンワールドの話。

オープンエア、という言い方をしていたけど、日本では、「家の中のツボを勇者が割りたくる」とか、そういう事が自由度と考える所もある。
「これ剣で切りたい」とか思っても、リアルに近いゲームでは、当然ながら剣で木は切れない、という所がまあ、リアリティの部分にもなるんだけど、ゲームの中でのルールというか「壁が登れます」と言ったら本当に壁が登れる、みたいな所が成立してるという所なんだと思うよ。
昔からそう、というと身も蓋もないけど、謎のフックで物理的には有り得ないような所でも、「乗れるかな?」とか思っちゃったりして、それが「乗れる」とかね。
アサシンクリードユニティとかやってたんだけど、登れる所には明らかに見える段差とかついててさ、バスティーユだっけ、なんか壁登りてえとか思っても登れる所実は結構少なくて、毎度ちょっと登ってはキャラクターが思ってもない壁と反対側に飛ぶ、というのにだいぶ苦労した。まあ登れる所探すのがゲーム、って言えばゲームなんだけどね。
無論、どう考えても街灯の上にいるオッサンに違和感を覚えてない街の人とか色々おかしな気はするけど、当たればよろめくし街角を歩けばそのざわめきが変わってくとかあるんだけど、ノストラダムスだっけ、街の中の印探すイベントとか、どうしても物語世界と馴染んでないゲーム要素が挟まるんだよねえ。

念の為。

海外のオープンワールドをディスってる訳ではない。
多分、作り込めば同じような方向に向かう事もあるかと思う。多分アサシンクリードはいい題材ではないのもあるだろう。

ただ、海外のオープンワールドは、作られたキャラクターがリアリティを持った上で自由に行動出来る事、という形で作られキャラクター自体は何らかの動機付けがハッキリあってそれから外れにくい所があるんだけど、ゼルダの場合には何というか「どう考えてもサッサと助けにいけよ」という所が放っておかれて延々と脇道に逸れる事が出来る、みたいな感じかなあ。
ハッキリいうと、頭の悪い行動が出来ると。

優劣とかとは違って。

こういうので伝わればいいと思うんだが。


ちなみにFFで~というのは、嫁がFFやってんだけど、話を聞く限り、「男の子同士で旅行しながら、魚釣ったり自撮りしたりして遊ぶゲーム」にしか思えないんだが、という所です。コンセプトは何なんだという。
海外のは、ある意味シビアでサバイバルでという感じなんだが、日本のってこうシビア感出すのは無理だよね(シリアスとかはあるんだけど)。・・・・・・って、Dark Soulあるか。
まあ、海外にも似たような発想のゲームもあるかもねえ。Steamとかアホみたいにゲームあるしさ。流石に全部は追えない。