インターネットが、情報によって人に感情を引き起こしている。

京アニの火災の件で、どうにも周りの人と感覚のズレにもやもやしている。


「日本の宝」って何?職人もいれば新人もいるだろうし、そういう風に色んな人が同時に亡くなった事について、周りが見ているものはなんだろうなと。


ただ、私は京都の人間で六地蔵あたりにも関係がないわけではなく、個々の人のイメージを持っているので違和感を覚えるのだろう。


インターネットと言ったが、メディア一般だが、情報を伝えてくる訳だが、その情報にはどうしたって見解が混じる。インターネットでは様々なメディアから流された情報が、グチャグチャになって転がっている。


私は、TVの向こう側にある作り手に対してこう殺人までの憤りは感じないのだが、「殺人犯を残酷に取り扱うべき」のような話が起こるのと同様に、沢山の情報に脳を揺らされていて、「一方的にとても近い関係性を持っている風に感じる」という事が、インターネットでは特に起こっているのではと思う。


これは悪いとか良いとかの話ではない。犯人に殺意を覚える人がいるように、犯人も京アニに殺意を覚えたのであり、かつて有名税と言われたものの正体のようにも思う。
これが京アニへの寄附の集まりにもなる。善意も世界を駆け巡る。


情報には感情も必然的についてくるのだが、メディアは正確なものからあやふやなものまで大量に報道する事によって不完全さを補う。伝える工夫は至る所で行われている。
そうやって大量に情報を浴びていると、近所の人や会社より詳しくつまるところ近いように感じるのではと思う。


こういう距離感のギャップがドンドン出て来ているのだろうなあ。