この記事は酷すぎる。

femalelibjp.org

週刊かけはしに載せようとしたもののようですよ。

まずトランスジェンダリズムの解釈が悪意的解釈になっている。

 ふじいさんが書いておられるように、男性が「自分は女性だ」と自認ないし自称すれば、あるいは「自分の心は女性だ」と主張すれば、実際においても女性として扱われるべきであるとする思想(性別の自己決定論)がトランスジェンダリズムです。強い身体違和を抱えてホルモン治療や性転換手術(現在は性別適合手術と呼ばれている)を受ける人々だけでなく、とくに身体違和を持っていなくても、したがって何らかの医療的な措置を受けていなくても、女性であると自認ないし自称すれば女性として扱われるべきで、そうしようとしない者はすべて差別主義者(「TERF」ないしトランスヘイター)であるというのが、このトランスジェンダリズム性自認至上主義)です。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

トランスジェンダリズムの宣言は、人間の社会の中での性の決定を「こころ」をベースにするのか「からだ」をベースにするのかというところで、「こころ」でいいのではという所です。
とりあえず、思想的には「詐称の問題」は考慮はしてません。もうひとつは「フェミニストとしての思想」なので、大抵の担い手は女性です。つまるところ、「(女性の中で)自分の性を男性と思っている人は男性と扱われるべき」みたいなところです。個々で言っているのは社会的な性的役割としての男性というよりは、生物学的な性の感覚です。


既存のフェミニズムからの拡大解釈版、ジェンダー部分での差別の打破という段階から、よりラディカルにセックス部分での差別の打破という所に進んだものと言えます。


思想を悪用する為の人の事をベースに考えてないの当たり前だと思うんですが。その思想の担い手、語り手が、トランスジェンダリズムを悪用すると思いますか?

余談:敵対者を悪魔的解釈をするのは、楽ですが、その時点で、これは「批判」に相当しません。

ネット上では人格攻撃も含めてバチバチやっていいとは思いますが、まあそれにしてもこういう解釈が入っている時点で、第三者的に見れば「使えません」。
人狼ゲームで言えば「人狼か狂人に決め打ってる」考え方なので、 「村人からは注意すべき意見」です。
まあ世の中人狼ゲームではない(悪意ある人狼ではない)のですが、わりと別のものに置き換えて考えてみると、「相手を殺す事が目的になっているだけの意見」だとか分かってくるものです。
(最近格ゲーマー人狼ハマってるんですが、あれゲームに勝つためには対立側の思考に立って考え、また村人を説得するというところで結構勉強になるんですよ)


プロパガンダ的部分とロジック的部分は、完全な分離は難しいですが、「そういう考え方もある」くらいに思っておきましょう。考え方の体系化としての思想には、破綻しやすいとか現実からの距離はありますが、これ正解というものは絶対にありません。

例示が極端すぎます。現実として考慮しないといけないところがあります。

 この思想は次の2つの点で根本的にフェミニズムとも人権論ともあいいれないものです。
 まず第一に、これは歴史的に差別され抑圧されてきた性別集団(sex group)としての女性という身体的・物質的存在を単なる「気持ち(feeling)」や「性自認」によって規定されるあやふやな概念構築物とみなすものです。
 これがいかに途方もないことであるかは、性別以外の被抑圧カテゴリーに置き換えるならばすぐにわかります。たとえば、アメリカ合衆国で黒人であるということは、過酷な奴隷制度のもとで虐げられてきた歴史的過去を有し、今日なお日常的に暴力と差別を受け、しばしば警察官に撃ち殺される恐怖の中で生活することを意味します。そうした状況の中で、アメリカ白人として生まれ白人として育った人物が、すなわち白人としてのあらゆる社会的・人種的特権を享受してきたものが、「自分の心は黒人だ」と称して、髪の毛をドレッドヘアーにし、顔を黒く塗り、ストリートファッションで身を固めて、「俺を黒人として扱え、さもなくば差別主義者だ」と言い出し、少数人種のためのさまざまな制度やアファーマティブ・アクションを利用し始めたらどうでしょうか? 明らかにこれは許しがたい簒奪だとみなされるでしょう。さらにこの「トランス黒人」が、黒人として生まれ育って差別と抑圧を受けてきた人々に対して、「君たちはシス黒人にすぎない。シス黒人はシス特権を持っているので、トランス黒人に対しては抑圧者であり、マジョリティ」だと言い出したら、どうでしょうか? これほどバカげた途方もない差別的主張は存在しないと思うでしょう。ところが、それが性別になると、突然そうした主張が全面的に正当だとみなされて、マイノリティ運動の支持者や左翼がこぞってそれを支持し、それに異論を唱える女性たちが逆に差別者扱いされるのです。これほど理不尽なことがあるでしょうか?

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

既に「ラスト・ベルト」や「レッドネック」というものが社会学的にも取り上げられた通り、白人層でも固定化した貧困というものがあります。
まあ、マフィアなんかが出来たのそのせいですからね。当然ながら黒人差別はあったんですが、同時に他の差別が無かった事を意味しません。
差別について思考ロックしてませんか?トランプ大統領を大統領にした力について、みんな考えてますよ。


私がこういうのを見ると、アメリカのヒップホップとかを思い出します。
ヒップホップ・ゴールデン・エイジ:80年代半ばから90年代半のラッパー
いやまあ、私にわかなんですが、ドレッドヘアはラスタファリアン、あのジャマイカとか発祥の自然回帰運動等からの流れです。レゲエとかですね。ストリートファッションとかはHIP HOP、NY発祥とか言われてます。流れとかはまあともかくとして、いい加減「黒人」ってくくり雑だなと思います。海外事情に感度の低い日本人ならではの黒人描写だと思います。
浜田の黒塗りコスは、そもそもアメリカンポリスとかのパロディで、黒く塗ることで笑いを取ろうとするやつなので、そりゃ怒られますよ。似せようとしているモノマネ芸でもないんでね。
アメリカでも昔、白人がラップをするのはどうなのみたいな話があったんですが、やっぱ音楽というエンタメ商業の規制のかからなさの強みですが、今んとこぐちゃぐちゃで、多国籍的なもんだという認識になってますよね。


今んとこ、「男性」「女性」という区別を強要される部分が社会にはあるから、トランスの女性とかが女性に入れてくれというのはあると思いますが、そういう局面減らしたらいちいちどっちの性とか言いたい訳ではないと思いますが。
トランスジェンダリズム宣言には、当然ながら背景にはLGBT等の、性的指向の多様性があり、身体的性というのも多様であるという部分があります。


アファーマティブ・アクションは、時代背景含めて変わっていくもので、人種とかでの学力に応じて下駄履かせたり外したりするものです。つまるところ、かなりバランス調整モノなので、比率とかは変わります。


言うなれば「古典的差別論に従った、白黒思想からの見方」でしかない為、実際に近いたとえが出来ていないんですよ。
トランス女性は、ちょっと例が変かもですが、「混血」とかになります。
日本で言えば、被差別部落の問題で「後からその地域に引っ越した住民」とかになります。分かりますかね?白黒の間で検討すらされてなかった人の話です。


「シス黒人の発言」は、馬鹿げた発言かもしれませんが、「差別的発言ではないです」。
現在、日本でトランス女性としてカミングアウトしている人の大半って、ほぼ診断ついているような人等だと思うんですが、「まるでお気持ちだけで表明しているように例えるのって、それこそとてつもなくひどい差別的発言じゃないかと思うんですよね」。


余談:惰性でプロパガンダ的フレーズ使うなや

昔、運動の人の書いた「日帝打破」に文句言った事があるんですが、現行体制が明治から続く身分制度の名残を結局引きずって政治家に武士階級多いやんけというのは分かるけど、今の日本って帝国主義の定義から外れているじゃないですか、といったら煽り文句だからという風に返されました。でも、嘘を言って煽るのは駄目でしょ。それこそ体制側のやってるプロパガンダと同じじゃんと思うわけです。

いやいや、嘘歴史は駄目でしょ。

 第二に、女性用の公衆トイレや公衆浴場、女性用の更衣室や脱衣所、女性のスポーツチーム、女性用の刑務所や避難施設などは、女性の独特な身体構造とその相対的に脆弱な身体性にもとづき、それを保護するために存在します。女性の性的・身体的安全性は何よりも女性専用のこのような公衆施設によってはじめて守ることができるのです。自認や自称が何であれ、これらの施設は身体性にもとづいて区別されなければ、女性の人権は守られません。これは人種と根本的に異なる点です。人種においては、人種で分離すること自体が差別を意味するのに対して、性別においてはその逆に、女性の身体性が関わる場面では性別で分離しないことが差別を構成します。たとえば、人種別のトイレはまぎれもない差別ですが、性別で分けられたトイレは女性の人権を守るものです。つい数十年前まで、この日本でも男女別のトイレは多くの公衆施設に存在していませんでした。女性専用トイレは女性たちの長年の闘いによって勝ち取られた権利であって、けっして「シス特権」などと揶揄されるものではありません。トランスジェンダリズムを支持する人々はしばしば、人種別施設の問題を持ち出して男女別の施設を非難しますが、まったく的外れです。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

「女性の独特な身体構造とその相対的に脆弱な身体性にもとづき」
別に科学的根拠に基づいてトイレ設計されたとかはないです。昔から覗きとかの犯罪はあったんですが、江戸くらいまでは、分離するという発想がそもそもない。西洋トイレ文化の輸入で男女別トイレも導入されたとは思いますが、そもそも男女を分離して管理するという国家主義の時代が背景です。
女子スポーツは、「女子にもスポーツを」の流れで作られたものであり、そもそも別に発展して女子部門として合併吸収されてるのが多いと思いますよ。ちなみに、女子スポーツの発展が妨げられている一番の要因は、「金にならない、指導が前時代的で発達が遅れている」だと思います。
女子刑務所に関しても、別に受刑者保護の為に作られた訳ではなく、風紀が乱れるからだと思いますが。そもそも日本の刑務所を公衆施設と呼ぶのは反対です。ただ人を閉じ込めて餌食わせて適度に運動させるだけの施設で、2000年代には暴動も起こりました。
避難施設は女子専用みたいに分かれてないと思いますね。単純に男性は対応されないだけ。
ハッキリいいますけど、科学的根拠みたいなのは後付けで、そんなのもされてない領域は多々存在します。変な男女別当たり前の慣習に則ってるだけです。今んとこ社会でも男女の取り扱いは相変わらず違いがあり、教育も違えば文化も異なります。
女子大学がどんどん不人気になり大量につぶれているのは、「時代の流れからの必然」で、女性専用の教育機関として門に守衛がいたり鉄条網張り巡らせたりしてましたが、そんな囲い込みよりもはるかに「「女性」向け教育しかない」方が問題があり、家政学とか栄養学とかから英文学や文化コミュニケーションにバージョンアップしようとはしてますが、どう考えても需要と供給ラインが狂ってるだろというくらい多く、男性教員にセクハラされる女子大生が後を絶ちません。個々人の好みは仕方ないのですが、同じ領域に学部があるのが困る。薬剤師は女性多いんですが、やたら資格職向け要は専門学校色が抜けないんです。

アメリカのジェンダーレストイレの話とかを参考に。
heapsmag.com

ジェンダーレスの話をするのに、人種差別を例に出すのは多分日本の人くらいだと思いますが、そもそも日本にこの手の話で自力で対抗するとかの文化がなく、誰かが守ってくれるとはアホな事ばかり言ってて、そういう文化こそ再考されるべきだと思います。
性別で分離されたトイレで今まで性犯罪とか起こってなかったでしたっけ。強姦とかは、主には連れ込まれる場所になっていて、トイレが安全だとかって想定、絶対間違ってます。キレイなトイレが増えた、薄暗くなくなったので犯罪者が引き込みづらくはなってるかもですが、そもそもトイレは強姦多発地帯ではないです。まあ盗撮は多いんですが、それもだいたい管理が不行き届きな便所に変に仕掛けられていて犯人は店員だったパターンが多いですね。
ジェンダーレストイレは多分統計取ったら今は犯罪が少ないでしょうが、まあ個室タイプというのもありますがそれ以上に新しく人の目が集まってるからという効果が今は大きそうで実際守られるかは今後じゃないとわかんないですね。

あと、「シス特権」ってのは、チェックリストとか見ても分かるように、「トランスジェンダー差別に鈍感でいられる権利」というところです。
トランスジェンダリズムはともかくとして、トランスジェンダーの人は現実にいて、こころのありようの多様性を全然肯定しない人たちは多いです。

いや私はそう思ってないけど。

 ではなぜ、今日の世界で、他ならぬ左翼(リベラル派だけでなく急進左翼も)がトランスジェンダリズムと闘うどころか、それを率先して支持し、身体女性を迫害する立場に立っているのでしょうか。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

被害妄想・自己への取り込みが強すぎます。
トランスジェンダーの女性は、身体女性という謎の言葉でくくられている女性を迫害しているという事実はありません。
TERFの女性の意見についてノーを言っているだけです。現在のところ、ジェンダーレストイレは、女子トイレの拡張という形ではなく、個室トイレとして誰でもは使えるが入るのは一人という個室を提供するだけです。実現での問題は単に面積だとか金だとかの問題しかないと思ってます。汚い場末の注射器が転がってるようなトイレを男女共用にしろとか言っている訳でもないです。広いからと言って多目的トイレをセックスの場所に使った渡●を許容するものでもないです。
私は身体的女性ではないですし心も女性でもないですが、身体女性という枠でトランスジェンダーが迫害されているというのは、事実と全く逆の事を言ってます。実際にトイレ自由に行けなくて困っているのがトランスジェンダーの女性であり、異性っぽく見える人が入ってくるのを拒絶しているのはTERFに類する女性であり、何も迫害されてません。締め出している側ですよ絶対に。


いやまあ、そもそも男子便所で女性が使ってたとしても何も文句を言わないですがね。
「女性じゃなくて男性だから安全だろ」とか言われるとは思います。まあそれは多少はありますが、そもそも便所は安全ではないし、公衆便所とかは差し迫ってなかったら使わない設備で、みんな差し迫ってるんだろと思ってるからです。
カラオケボックスの店員やってて、便所に人並んでて待ってる間にウンコ漏らした女性の話します?もうね、慰めながらコンビニにパンツ買いに行ってその後掃除させられる身になってくださいよ。面倒。
急に差し込んで民家の人に助けてもらった事もあり、トイレホント大事です。

 まず第1に、進歩派・左派の当然の価値観としての「多様性の尊重」「マイノリティの権利擁護」という常識が悪用されていることです。生物学的に男性であっても男性らしい格好や生活スタイルを取らない人でも個人として尊重されるべきこと、トランスセクシュアルトランスジェンダーであることを理由に職場や教育などで不当な差別を受けるべきではないこと、これらはすべて当然のことです。しかし、トランスジェンダリズムが主張するのはこうした水準(個人の尊重としての自由権)から完全に逸脱して、女性を自認ないし自称する人はすべて法的・社会的・制度的にも「女性」と認めなくてはならず、そうしないものは差別者として排除されるべきであると主張しています。これは「多様性の尊重」ではなく、多様性の根本的な破壊であり、「マイノリティの権利擁護」ではなく、女性というマイノリティへの攻撃です。「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」という入り口から入ってきたこの全体主義思想は、多様性を破壊し、他のマイノリティを解体しつつあるのです。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

思想を悪用されている!とかについては、悪用するやつが悪いんであって、思想の良し悪しじゃないですよ。トランスジェンダリズムは女子便所に女装して入って盗撮や強姦する人を肯定してません。女性の権利だって悪用しているやつはそりゃいるでしょうが、そういうのを問題にしてフェミニズムがそもそもクソだとか言いました?


トランスジェンダリズムは、「女性」という権利を振りかざすのではなく、「女性の権利」を「人間全体の権利」に結びつけてる話です。トランスの女性を「女性として扱え」は通過点に過ぎません。ちゃんと思想を理解しようとしていますか?


私は、多様性とかは別に重要ではなくて、基本的に人間としてトイレの権利はあるべきだと思う派なのですが(性別にも他人が干渉しなくていい派)、あまりにも性器に固執しすぎじゃないでしょうか?閉経したら女性ではないんですか?手術で子宮や膣がなくなったら女性ではないんですか?
日本人がなんとなくもってる偏見、巨乳はふしだらだとかごつごつした体は女性らしくないとか、そういうのに乗せて無論トランスジェンダーの女性だけではなくスポーツ選手とかも女性の中での差別みたいなのを受けているんですが、その辺りも含めてどう考えてるんですか?

 しかし第2に、より本質的な理由として、左翼の中でもいまだ女性は、本当の意味で被差別集団・被抑圧集団とは結局みなされていないという問題が存在します。多くの左翼は性差別に反対だと主張し、たとえば森喜朗のような保守派の発言に怒りを表明しますが、その多くは反自民という政治的企図にもとづくものです。左派のあいだでも、女性は結局、人種的・民族的少数派と(少なくとも)同程度の被抑圧集団であるとはみなされていないようです。人種集団には許されていないこと(自認による抑圧集団から被抑圧手段へのトランス=移行)が、性別集団には許されていること、それどころか大いに推奨され、賛美されているという事実そのものが、被抑圧集団としての女性が受けて生きた抑圧の歴史(選挙権剥奪から慰安婦制度や魔女狩りに至るまで)と現在の深刻な現実(低賃金、不安定雇用、家事労働の押しつけから、買春、セクハラ、レイプ、フェミサイドに至るまで)を徹底的に軽んじ、ないがしろにするものです。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

これ、そう考える根拠が全然ないですね。一方的な決めつけです。
せめてそれっぽい言動をしてほしいです。


なお、私は、人種集団という概念については、歴史上差別では必要な概念ですが、未来に向けては不要な概念だと思っています。
というか、そもそも人種として白人黒人というような仕分けは古臭いですし、ただの見栄えだけの区分けであって分析には使えないんだよなと思ってます。人種は大抵自己申告制です。遺伝子的に見ても結構見た目以上に混ざってて使えんのかというところがあります。仮に人種で分けたとしても差がないよね、みたいなのを確認するのには使いますが、当然ながら背景因子として貧困層だとか地域性だとかが隠れているものとして見てます。


「トランスが大いに推奨され賛美されている」というような思想では、トランスジェンダリズムではありません。自己決定ってのは、自発的にそう考える場合の事を差します。トランスジェンダーの場合、性器によってつけられた性別が違うからというものがまずないとであり、気分で性別を変えるというものではないです。そりゃそこまで出来たらいいですが。義体とか使ってね。
私はトランスジェンダリズムの先かどうかはともかく、便宜上必要な場面でしか性別は必要ないし、その便宜というのはセックスする・妊娠する時だけでいいんじゃねという派です。まあ母乳はあるんだけど。洋式便器がもう少しユニバーサルなデザインになってくれれば、俺らも座ってするのが普通になると思いますよ。

 左翼の多くは、保守派のようにわかりやすいストレートな女性差別をするのではなく、「トランス女性」(つまり身体男性)を「最も抑圧された集団」扱いするという回り道を通じて女性差別に加担しているのです。これはちょうどセックスワーク論において、「セックスワーカー」の権利を擁護するという建前で、買春者である男性の権利を擁護するのと同じからくりです(実際、セックスワーク論を支持している「人権」団体の多くはトランスジェンダリズムをも支持しています)。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

またひどい印象操作ですね。「「トランス女性」(つまり身体男性)」は故意にミスリードしてます。トランス女性は、既に工事を終えている人もいるし、金がなくてとか体を壊すの怖くてまだの人もいるし、何より身体男性の多くはトランス女性ではないです。医薬関連のお仕事している身としては、ただ偏見回避の為に工事をするには、命の方を大事にしてほしいと思います。ホルモン注射も整形も、楽しくやれるならまだいいですが、性器っぽい形には出来ても性器はまだ作れるものではなく、どうしても肝臓を痛めて短命になってしまう事は考えられます。申し訳ないが、まだ人間に義体はあと一世紀は最低でも作れないです。

 第3に、この数十年間にアカデミズムの左翼文化や一部のフェミニズムにおいて、性別(sex)を「ジェンダー」に還元ないし解消する動きがポストモダニズムの支配的雰囲気のもとで不可逆的に進行してきたことです。「ジェンダー」という言葉はきわめて多義的で、使う人によってさまざまなものを意味しますが、それを一種の社会的・文化的構築物とみなしたうえで(これはジェンダーの一定義でもあるので、それ自体は間違いではありませんが)、そもそも男女の本源的な性別など存在せず、それもまた社会的に構築されたものであるという議論がこの10~20年間にしだいに強力になってきました。「性別二元論反対」というと進歩的で先進的に聞こえますが、実際には、非科学の最たるものです。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

ポストモダニズムの多義性はともかく雰囲気でポストモダニズムって書いてるんでしょうが、トランスジェンダリズムジェンダーに還元するものではないです。

 生物学的性別は確固たる物質的現実であって、社会的構築物などではありません。マルクス主義は、自然的・物質的現実を踏まえつつ、その歪んだ解釈を排するのであって、自然的・物質的現実を否定するのではありません(エコロジーを重視するエコ社会主義の思想は、まさにこのような自然的・物質的現実の優位性にもとづいています)。ところがトランスジェンダリズムはその反対のことをします。この思想は、身体的・生物学的性別の現実性を否定する一方で、生物学的に男性でもピンク色やスカートやお化粧や長い髪が好きだから実は女の子だというような発想をします。つまり、性別の物質的現実を否定しつつ、社会的構築物にすぎないジェンダー(社会的・文化的な支配的規範としての性)をあたかも生得的な何かであるかのように扱うのです。これほど転倒した観念論もないでしょう。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

その科学的知識は遅れています。性的な遺伝子に関して遺伝子異常で生まれてくる人は結構ややこしい形を持ちますし、ホルモンも、同性愛遺伝子みたいなのもありません。
www.bbc.com


近年の科学技術の過程で、これというものが見つけられていないという成果がずーっと積み上がっているのに、「生物学的性別」とかにこだわってるのは時代遅れです。マルクスの時代では今はないです。

 トランスジェンダリズムの問題はこれだけにとどまりません。世界中のトランス活動家(TRA)たちは、自分たちの主張に従わない女性たち(と一部の男性)に対して、「TERF(Trans Exclusionary Radical Feminist)」とか「トランスフォーブ」「トランスヘイター」とレッテルを貼って攻撃し、暴力で脅し、「俺のペニスを舐めろ(suck my dick)」とか「ターフを犯せ(fuck TERFs)」「ターフを殴れ(punch TERFs)」「ターフを殺せ(kill TERFs)」などと公然と性暴力や殺害を扇動しているのです。保守派や右翼の女性たちに対してさえ、「ペニスを舐めろ」とか「犯せ」などと左翼の側の人間が呼号したとしたら、そのような人物は左翼陣営からいっせいに非難され、ただちに追放されるでしょう。ところが、このような性暴力的攻撃がトランス活動家によって他ならぬフェミニストや左翼の女性たちに向けられると、ほとんどの左翼やリベラル派は見て見ぬふりをするか、それに積極的に加担するのです。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

そういう人達はいるんでしょうが、海外事情は知らないけど、インターネットの世の中、沢山の人がいますし、何より日本ではTERFの人達の方がはるかに攻撃的です。地域性考慮しましょう。
ついでながら、暴力で脅した事例とか出してもらえますかね。

 イギリスの著名な作家J.K.ローリングさんが2020年6月にリベラル・左翼陣営のトランス活動家たちやそのアライたちからいっせいにこのような性暴力的攻撃を受けたとき(攻撃者の中には、J.K.ローリングさんとTERFをグラーグに送れとかガス室に送れと扇動した連中さえいた!)、トロツキストを含め、彼女を擁護した左翼はほとんど皆無でした。一人の勇気ある進歩派の女性が全世界の何千・何万というミソジニストから攻撃されているとき、新旧左翼は彼女を擁護する勇気をひとかけらも持ちあわせていなかったのです。何と恥ずべきことでしょうか。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

一方的に攻撃を受けたのではなく、反撃を受けたという認識です。どうしてJ.K.ローリングのきっかけになった発言を引用しないのでしょうか。
あと、ほとんど皆無というのは、日本語としておかしいです。
なお、J.K.ローリングさんは労働党という古い方の派の人で、別にラディカルではないです。

余談:相手を悪し様にいう印象操作はむしろ逆効果です。

文章に行き渡る攻撃性は、結局のところ「口では認めると言っても空手形」でしかないなという印象しかないです。トランスジェンダリズムの宣言とかは、そりゃ思想的にはラディカルですが、いつの間にお前らラディカル放棄したのと思います。
人殴る事に集中して、相手の考えをちゃんと汲み取らないの、ホント害悪です。
思想的にはラディカルなんですが、権利主張は大して過激じゃないです。公衆浴場に関してはトランスジェンダリズムの人の中でも開放せよと言っているのはその中でもごく一部だと思います。
論敵だとみなしている側をあまりにも悪魔的に見すぎですよ。
そういう闘い方しかしてこなかったんですかね。

トロツキストの誤解。

 トロツキストはかつて、スターリニストによる世界的な弾圧と迫害のもとでもその正義の旗を降ろしませんでした。その偉大な伝統を復活させる必要があります。たとえ、既存の左翼陣営から「TERF」や「トランスフォーブ」とののしられても、女性の人権と安全を断固として守り抜くことが必要であり、「TERF」とか「ヘイター」と攻撃されているフェミニストや市井の女性たちと断固連帯することが必要です。どうか勇気を奮い起こし、正義を貫いてください。

『トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――』 | Female Liberation Jp

歴史を踏まえると、ABCD問題を起こしめっちゃ女性が離反した組織のにこういうの送るのは、ものすごいです。それこそ、歴史を忘れすぎでしょ。
レイプ未遂事件があって、その後の対応がめっちゃ悪かった為に女性活動家が離反したというやつなんですが。



悪い夢でも見ているような気分なんですが、なんでこんなの出てくるんですかねえ。