これ、オカルティストな話であって、民俗学でもないし、安倍晴明の話でもないです。

民俗学界隈の人が「日用品が普段と違う使われ方をすると、呪いに転じることがある」って言ってて - Togetter

基本的に後世の人が勝手に連想してくっつけただけの理屈なのであり、こういうの真に受けるのどうかとか思うんですが。
まあこういう人が壺買ったりするんでしょうね。


現代の何も考えてない人が炊飯器に人形突っ込む事に、民俗学からいう話はなくて、そもそも呪いとかからその根源を探っていくのが民俗学なので、方向が逆です。
一般的に観測された話でもない為、そもそも学問の対象になりづらいですが、むしろこういう事例は、民間で何故胡散臭い言説が根拠あるものとなっていくか、いわゆる都市伝説や霊感商法の成り立ちを見ているようなものだと思います。



安倍晴明が書いただろう書籍はありますが、フレイザー金枝篇見たような事を言ったような記録はそもそもありません。占いの本は書いてますが、基本的には陰陽五行とかの本です。そもそも陰陽師エクソシストじゃないんですが、ああいうの作ったのは物語作家です。そもそもエクソシストも近世のものですが。


こういうの見かける度に思うのですが、嘘を嘘と見抜くのそんなに難しいんですかね。


ちなみに化野念仏寺発祥の水子供養、戦後に生まれたものですが、こういうの、母親の悩み、みたいなのを、既存仏教も新興宗教も利用してきたというのが事実としての歴史であり、昭和の母親たちによる宗教活動って、女性側への皺寄せとして来ていて、今も解消されず、母親という役割への忌避感として表れているのではとは思うんですよね。


こういう事を考えると、もう少し地に足のついたフェミニズム社会学が必要だと思うんですが、日本は社会学をどうも舶来の学問としてしか捉えてなくて、乱暴に当てはめようとして決め付けをやり過ぎてるよねーとは思います。
まあ、日本は学問も実利追いすぎだから仕方ないよというところはありますが。