肱川というちょっと変わった曲がり方をしている川があり、丁度「し」の鏡文字のような形で流れている。北側の下流が大洲市になる。
http://www.skr.mlit.go.jp/nomura/dam/index.htmlより
親の里が上流の西予市宇和町なので今回の水害の実害はない。野村ダムより上になる。だが、そこが盆地で、そこから山を抜けてカーブを描きながら下流に抜けるので、かなりの水量、土砂がまんま下流に流れる。
野村町は川の途中の町であり、本来なら洪水は起きなかったはずだが、昭和の四十何年かに上流に野村ダムが出来た為、一時的に相当量の水が集まってしまい溢れたようだ。
実は下流にもダムがあり、二つのダムでようやく度々起こっていた大洲市の水害が収まったという事もある。なお、大洲市も盆地であり、海側には一気に流れ込む為下流の三角州はない。なかなか非常識な地形である。
かつては肱川を水運で木が運ばれていた、なんて話もあるのだが、トンネル掘って電車や道を大洲→宇和の方へ繋げてしまったが為に道は昔のままであまり交通の便は良くない。その為、大洲市からも時間がかかる(その辺りは自動車道もある)。かつてはお遍路さんが通ってた事もあるだろうが、今は、肱川の源になる鳥坂峠にトンネルが通っている為、長く迂回するのではなく大体の人は峠を越える。
この地域は過疎化も著しい。戦後の早いうちに林業は落ち目になっていたし、マンガン鉱山はあったようだがその辺りは戦前から盛り下がっていた。ダムの底には、父方の里になる明間の村の一部が沈んでいる。まあ、私は戸籍は変わったのだが。
高齢化もありかなり人手が足らず近隣から若人を集めるのも難しいので、ボランティアもナカナカ行ってはくれんだろうが、興味あるなら是非。