ここら辺の話、「微妙」に思うの。

ta-nishi.hatenablog.com
実は、ここらへん肌感覚としてはちょっと違う。

確かにこの時代、オタクとサブカルはまだ未分化でしたから、「対立はなかった」となるのは当たり前です。だから、両氏が言っていることもまた、正しいのです。ただしそれは、90年代オタク差別時代以前の「事実」であり、それ以降の世代にとっての「事実」ではない。このことは、強く指摘しておきたいところです。

『オタクvsサブカルは、ありまぁす!』と、オタクサブカル老害エリート文化人のみなさまに言ってやりたい - 自意識高い系男子

ナナロク世代なので、ここらへん中学高校生あたりなんだけど、自分が通っていた中高一貫校では、あんまりそういう分かりやすい対立はなかった。
そして、その中高一貫校、これがびっくりするほど山の中で、何買うにしても京都か大阪、に出ないと無理な訳だ。自分は特に通学途中にたいした町がないしまだケータイも持ってないから実際に途中下車して本屋を探すような事をよくしてたけど。
平城山んところでアップライト筐体がおいてあってひたすらゲームしてたなあ。そこの本屋には大してマンガなくてナカナカ大変だったよ。


中学入った時の臨海学習で、横に座った白川某という人間からウォーロックとT&Tのルールブックを借りて読ませてもらったってのが、まあそこら辺の濃ゆい文化に触れた最初ではあるんだけど。晩にレムリカ銃士隊とかやってたなあ。
高校の文化祭で、米米CLUBのShake Hip!とか、筋肉少女帯の日本印度化計画とか歌ってたバンドがあって、そこの同好会誌には、サイキック青年団とかスーパーヅガンとかあって、そこの同好会の展示では銀英伝やFSSの一話とかを流してた。そういやグランゾートも書いてたっけ。


時々見てると、個人的体験と、みんなが共有しているものの話とは違うなあとは思うんだけど。
そもそも、オタクですら、エヴァ知らないとかで冷たい目で見られた事はあるし、四コマとか何が面白いとか言われた事もありはする。知らないものをとりあえず嫌いだとか興味ないの言い換えでつまらないという人に出会う事は結構ある。買ってるマンガが打ち切られる事は昔からしょっちゅうあったし、まあなあ・・・・・・


ARTIFACT −人工事実− : オタク定点観測 第15回 オタクとサブカル様
ここらへんをちょっと見て思うのは、「話の上っ面だけ聞きかじって、知ったかする人間が嫌だな」という、それだけな気もするんだ。
ある種、「ブログが新しい!」とか言う人間に対するイラッとする感じと似ているかもしれない。
それを、「オタクvsサブカル」とするのは、ライター側も含めて、「オタク」や「サブカル」のセンターポジションが存在しているという感じなのだろう。出版物「が」そこになるのかな?


関西の場合には、とりあえず北野誠が名前が浮かぶが、まあ、口の悪い人で、サブカル評論家には結構多いタイプな気がする。んだが、あんまり知らない。
最近は、多分マツコ・デラックスがやってるのが、そういうのを駆逐してしまっている所があるように思う。ただ、エロ汚い所は除外しているけど。ただ、本当に上手いなあと思うのは、アレで不幸せになっている人があんまりいない事だよな。みんなほのぼの大好き。

変な批評が、多分文化評論を不毛化してしまった。

あずまんとか宮台の功罪でもあるんだけど。


社会の文脈を読み取る上で、例えばメディアに頼るとか仕方のない事ではあるのだけど、例えば、戦後の第二次世界大戦史ニセみたいなのが、社会風俗の面で言えば、愚にもつかないシロモノが沢山出来上がっている、というのに似ているかもしれない。


豊富なバリアント、を生む土壌は、贋物やデマも含む珍妙なものとなり、やがてその価値を失わせる。
年代と土地、時間と空間による断絶を乗り越える為の論説は、本来膨大なスケールの情報を元に生み出されるものなのだが、ここ数年というか現時点では、多くの論説は、とある一事象に示唆される何かを読み取り物語を紡ぐ事にかまけて、なんていうかな、クソみたいな預言者みたいなのばかり生み出している。
古市とか、「当たるも八卦当たらぬも八卦」のいい事例になってしまってる。当たろうが当たるまいがコメンテーターとして金を得る、それが正義みたいになってる。


こんな事いうとアレだけど、あずまんとか宮台とかそれほど社会に影響を与えない、小物であるし、それはそれで本人たちがちゃんと認識してんだと思うんだけど、古市は若干勘違いしている風な気もするけど、それ以上に勘違いしたフォロワーが、
「居酒屋談義で飯が食える」
とか思っちゃったのがもうアレで。


いやさ、社会現象の一つを取ってお話作るのはそりゃ出来るけど、高く買うにはちゃんとしたブランディングが必要だし、古市は「教員未満」「賢そうな」「若い人」というブランディングだし、それ「でしかない」。
匿名掲示板になると途端に力を失う論説しか出来ないんですよ。
あずまんとか宮台でも、肩書きがなければ、クソかったるい小難しい話なんか大衆は聞かない。理解させるように優しく説明が出来る訳じゃなく(またそういうものでもないんだけど)、向い合って座ってる司会のオッサンとかもほぼ脳みその中に理屈はなく、「理屈っぽい」だけでウケてる所が多分にある。
で、それをブログでやってどうにかなると思っているバカが増えてるんだけど、「ドサ回りの演説家に金をやって謳わせる」程度にしかならんよ、ブログからでは。よっぽど謳うのがうまけりゃ金にはなるが、そうじゃない。たいしたバリエーションもない、オンナジ事を繰り返す、それでメシクウのはちょっと無理だよね。


それと、この手の評論の最悪な所は、「たわごとでしかないのにデマ的に流れる事がある」って事で、当事者にすればホント迷惑なだけだよね。
所詮は居酒屋談義だって事は、念押しした方がいいと思うんだけどねえ。