トンデモが何故生き残るか。

そもそも、それ単体は、「何もしない」ものが殆どである。
マトモに効果があるものなら、「トンデモ」ではない。
有害なら、「幾つかのケースで明らかになる」。


一番厄介なのが、雨乞いのような、「それ自体は何もしない」場合である。
雨乞いを一月ぐらい続ければ、「大抵一度は雨が降る」。上手な雨乞い師は「雨が降りそうな時に雨乞いする」。
お札を与えて「注意深く暮らすように」と長々と訓示をたれると、「訓示に従うことの方が大事なのに、何故かお札の代金としてお金を使うようになる」。
まあ、そんな所。