私は性同一性障害の人に、一方的に工事を勧めるべきものではないと思っているのだが。


もし、いわゆる工事が、安全かつ低予算でかつ後遺症等も伴わないものであれば、比較的であっても、まあ個人裁量でしょとは思うが。
現代の医学では、性適合手術は万全ではなく、ホルモン投与も多分一般人では理解されていない副作用がある為、全くもってこういう言説は犯罪にも等しい行為のように思える。多分知らんのだろうが。

医学的には、その人が生育段階で浴びてきたホルモンバランスを崩したり人工化する事は、悪い結果しか得られない。

医学的という意味は、社会的とは別という意味である。
ただその社会的にという意味でのベネフィットは、正直現代日本でも感覚変わってるし、感覚変えた方が楽であるよと。
無論、自分でこうなりたいと思っての工事とかの意義は認める。というかそれは他人がどうこう介入しないでよいものと思うが、ただまあ、形成外科とか整形外科とかで問題になるようなレベルな話だと認識されてほしい。


ホルモンをドーピングして、うまいこと行くなら別にそれはそれでいいと思うが、アスリートが体を犠牲にしながらドーピングとかは良くないとされて、ドーピング検査とかになってくるのだが。
無論、ドーピングの薬剤はステロイド、男性ホルモンのテストステロンかそれに似た薬剤なのであるが、当然ながらエストロゲンの副作用とは異なる。異なるのだが、例えばテストステロンが過剰に投与された場合にはテストステロンがエストロゲンに変わって女性化乳房が発生したり、中止した際にテストステロン生産機能が低下してしまっていて女性化したりとかある。
ホルモンはホントにバランスのものなので、体調が悪い時にちょっと取るとかならいいのだが、バランスを大きく崩すと全身のバランスが崩れるのだ。

「あるがまま」を認めてもらいたいと思う人らに、「工事の強要」という圧迫をしていいものなのか考えてほしい。

妊娠出産を望まない人に、身体負担の少ない妊娠中絶薬が認められるというのは、科学や社会の進歩だと思うが、
何故性同一性障害だとか障害を抱えている人に、ハイリスクかつ社会への適合の為に工事を強要させるというのはどれだけ残酷な事をしているかとか考えてほしい。


男性であれば、陰茎の大きさが足りなければ手術を強制されるとか考えてほしい。そしてそれには組織腐敗のリスクや男性機能不全の可能性がある、みたいな状況を想像してほしい。
女性であれば、生理の始まりが遅いとかで強制的に薬飲まされて生理を起こさせられるとか、生理のつらさを補助なしに耐え続けろとか言われる事を考えてほしい。ブサイクだったら整形しろとか強制されるとか、貧乳の場合に豊胸手術を強要されるとか。


モテたいとか、自分が望むならそれは全然勝手にしてもらっていいのだが、外部からお前は手術すべきとか言われるの、どんだけ残酷な事か。
好きな相手から言われるならちょっととかは思うが、そうでない、見知らぬ外野のネット民とかに言われるの、どう考えても残酷だしダメだろう。
確かに他人事だし、兵藤会長の言うような「わしは傷まん」は事実ではあるが、だからと言って、「我慢する事」増やすようなの良くないだろう。