京都市の障害者蔑視は激しいし、京都人は嫌な物をなんでも山に捨てる。
— kinokuniyanet (@kinokuniyanet) 2016年5月31日
感覚としてあったが、地図にしてみたらガクゼンとした。 pic.twitter.com/Gzh95DJBek
あのなあ。
街のど真ん中に大きな箱ってそもそも作りにくいんや昔から。
NIMBYだとか言っているけど、保育園問題でも若干そうではあるけど、そもそも裏庭すらない京都では、建物を立てるには建物を壊す必要がある。金だってかかる。
あとな、精神病院が建てられた所は、昔の保養地、例えば岩倉とかは貴族の子息とかも里子に出されてそこで育つ、というような土地。元々保養地の雰囲気がある故に、精神病院というのも建てやすかった。
その地をまるでケガレとして京都人が認識していたかのような話だが、それは違う。
そもそも、住民反対運動とかが開発される前の時代なんで、上の決めた事に反対するとかそういう時代でもない。
現在、京都市内にも相当数の身体・精神障害者の支援施設はある。ただ、そういう施設では対応が難しい人がいく所ってのは、当然ながら集められる為に違う場所に置かれる。で、京都の場合には伝統的にあった所にそのまま行くってパターンが多い。
ちなみに、京都でろう学校が出来る頃、田舎とかでは座敷牢とか離れに隔離。
まあ、これは仕方ない部分もあって、京都は三番目に大きい都会だった訳です。金もあるし学もある人がいて、篤志家がいる。
戦後になるまで、障害者教育の枠すらロクにないんですよ。
そもそも、私が生まれる頃にようやく養護学校義務化と重度の知的障害者に対する就学免除・就学猶予措置がなくなりました。それまでは田舎の場合にはまず座敷牢です。故に、私の父親のいとことかは、本当に学校に行ってません。自閉症だったんですが。
そういう、ジリジリとしか進まないものを進めてきた歴史があるんですよ。
それを恐ろしい事に、「京都人の偏見」だとか、そんなセリフでいうのはマジでどうなんだと思いますね。
NIMBYだとか、そんな単純な話じゃねえですよ。