多分、新興宗教や霊感商法は無くならない。

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私の家は臨済宗妙心寺派ではある。仏様を拝んでいるとかはない、特に霊感もないし、まあそもそも超自然的な存在の説明とかを宗教に求めていないのではあるが、人々の心の安寧のために霊的存在が必要なのならまあそれはそれでありかもなとは思う。
ぶっちゃけ、霊感商法には引っかからないとは思う。「全ては神が決めている宿命がある」みたいなのを全く信じてなくて、というか、神がいるなら偶然を作っているというかあいつらサイコロ振ってるんだろうなという感じで思っているからです。死が不幸とも思わないですし。快楽だけしかない人生は、それはそれでつまらないだろうなとも思うし。

本題。

多分、アプローチが違う。という言い方をするとwattoさんに厳しいような話だが。
必要なのは、死後の姿を伝える人であって、なおかつ罪悪感に漬け込んでいるような相手なのだから、見方を変えれば死者を冒涜しているような人なのであって、「亡くなった人って、死後親しい人に迷惑かけるような人だったんですか」というようなところ、言ってしまえば対抗イタコ芸やるとかで、結論的には相手に考えさせて否定させるような、説得よりも納得型のアプローチの方が良さげ。
という風に考えると、「実際自分がどうすればよかったかな」というような思考になるかと思います。いやまあ、その前に、ネットからのアプローチで、その人の割り切れてない悩みみたいなのに付き合うってのは結構難しいもんだと思いますが。

既存宗教であっても、霊感を信じるような宗派はあり、宗教の中でもマジョリティとは言わないが、結構大きな勢力である。

時々思うのだが、統一教会は確かに異端なキリスト教ではあるのだが、そもそもキリスト教として考えるならば聖霊派の系統に近く、原典とか持ってきても通じない。めっちゃ簡単に言うと、奇跡や癒やしとかを実際に起こせるカリスマがいて、そういう人達がいうからこそ信じるというのであり、これ実際のところキリスト教内でも一大勢力である。
アメリカでも、フラットアースとか信じている人がいるんだぜというレベルではなく、無知蒙昧だからではなく、「現代」「リアルとしての世界」に対抗するものとして、宗教がある。

この世が理不尽に思えている人には、「反・理知的なアプローチ」って結構影響あるんですよね。神秘性を損なわないものとしてある。

既存宗教もなあ。。。。。。

我々はついつい新興宗教であると、新興宗教ならではのポイントを見てしまいがちなのだが(大体セックス教団というネタが出てくる)、統一教会キリスト教ペンテコステ派の影響と儒教の影響がある。結構霊を信じるというところで根っこは日本の仏教のそれに近い。


日本の仏教ベースで話をするが、葬式に際して、人は死んだら霊になり、戒名を持って仏弟子になり、四十九日の裁判を経て輪廻転生の輪を外れて「成仏する」というわけなのだが、「○回忌」は儒教の影響である。儒教、という形での宗教はないが、宗教的慣習というやつで、その影響は「父母恩重経」とか「施餓鬼供養」とかに見られるものである。
「親より早めに死んだ子どもは賽の河原で石を積む」とかあるじゃん。


お金を使わせる、という意味では、宗教と言えど慈善事業ではないため、というかまあ、寺建てさせるのに有力者の財布を漁ってた歴史はあるわけで。
四国八十八箇所なんかも、空海の名前を騙ってブランド化したり、わりと「作られた伝承」ってのも結構ある。
既存宗教の場合、我々が「霊感商法」と認識しづらいというだけであったりして、そうさなあ、戒名代とかでガッツリ取るところもある。まあ、大体良心的なところは「本山に位牌並べる費用とかで別に戒名とかに金かけなくていいよ」とはいうが、あれ、高いところだと100万とかあるからなあ。


president.jp


なお、余談だが、京都にいた人としては、浄土真宗は立派な仏壇とか必要でちょっと他より金かかるよな、という印象。
あと、敦煌調査とかの散財が出来るくらいには金集めてるよ。