かつて、大学時代、就職先も決まり彼女との結婚も間近に控えてたヤツがいて。今もいるが。
結婚すると未来が閉じるように思ったのか、やる気を無くして単位を取れず粘りもせず、彼女との話も終わり。就職も不意にして。
全てを投げ出す、ようにして。
未来を閉ざしたのはその行為で最早後の祭りであるが、その後の祭りを意図的に作り出して反省も後悔も無駄なんだがと思いつつ見ている。
「メンヘラの子と良くつきあう」のも、彼の場合は、破綻する(支えられない)のを選択した結果に思える。
医学部を再受験する(元文系だが結局卒業出来ないままタイムリミットで終了)、と掛け声は良いのだが、その実際、模試も受けずもう数年経過してる。勉強はしている積もりらしいが、それは参考書を読みながら高校時代を懐かしく思い出しているだけだろう。
「やれば出来る」が「やらないので出来ない」。選択がありその結果に見えるけど、実際は「十中八九流れに棹を差してない」。福祉のバイトをしてある程度の高評価を得て、向上心があるから現状に満足しちゃいけないんだと思いつつそこに留まり続けるんだろう。
まあ、最初に「結婚やんぴ」とか言えば済んだのだろうがそれが出来ないから「自分を失望に値するように作る」。
「自分が振る」行為は「負担」だから、相手に振らせようとか、分かり易い負担軽減の動きではある。
あるが、遠目から見るとトータルの負担は寧ろ増えてんだが。
意識的ならまあ仕方無し、無意識ならまあ誰かの声で気付けよ、でも多分、後から「意識的であった」として「分かったようなフリをする」ので、かなり高い確率で同じこと繰り返すなーと思ってたら、また彼女を作ったらしいので、考えを検証する機会に恵まれそうだ。