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を見て。
多分この辺りの研究の話なのだが。
KAKEN — 研究課題をさがす | 2012 年度 研究成果報告書 (KAKENHI-PROJECT-22402045)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-22402045/22402045seika.pdf
無論、みんながみんな均質という訳ではなく、それどころか現象としては一つに見えているだけでパターンとしては様々にあるのだろう。
ただ、日本とフランスの偏りは、「デートが出来る事」それだけではない。というか、それは些末な所に過ぎない。
参考;【当事者インタビュー】フランスの田舎のひきこもり生活を語る | ひきこもり新聞
そもそも、フランスでの「引きこもり」研究はまだ始まったばかりであるし、サンプルはまだ、フランス人の性質の偏りというよりも、研究として重視される症例に偏りがちであるという事はあるだろう。
比較を正しく行う場合には、「何が同じで」「何が違う」という事をちゃんと検討する必要があるのだが、元々日本でも初期はそんな感じで、「偏屈だから引きこもる」とか「周りが励ませば出て来るみたいに思われてた」のもあるだろう。引きこもりではないが、彼女作ってなかったので親に「彼女見付けてこい」みたいな風に言われた事もあったなー。
社会にとって重要度が低いものはその意味があるかと思う。
そういや、アメリカでは引きこもりはいない、さっさと自立させられるからだ、とかって話があったが、それなら多分ニートに分類されているだけだろうと思う。
ちょっとググって見つけたのだが、フランスとではなくイタリアのだが、研究者の思考と当事者の思考が違うという事はあるだろう。
【イタリア人ひきこもり研究者と日本の当事者が対談】ミラノ東京 ひきこもりダイアローグ 第1回「30年前のひきこもり」 | ひきこもり新聞
この対談は、この対談だけでスゴいと思うし、関係する人は一度読んでみた方がいいかと思う。