多分戦い方や研究の方向性付けとかで、もうちょいやれる事はあったと思うが。

子宮頸がんワクチンめぐる一斉提訴から8年目にして健康被害を訴える女性たちを法廷で“尋問”「血を吐くような思いを10年」「科学的な裏付けは存在しない」対立する主張 - RKBオンライン

確率的に稀な事象は、雑に扱うと因果関係が認められないものになります。統計のエビデンスと戦うと多くのマジョリティに圧殺されます。
サリドマイド禍のような分かりやすいミスを製薬会社も起こさないようにはなってます。


とは言え、アレルギー反応だとかについては、そもそも症例数が少ないので研究が進んでません。費用対効果もあります。裁判で消費されたもの考えると、多分8人の人生くらい買えそうな気がしますし。


何処まで研究で解明出来るかと思いますが、統計で見えないものなので時間はかかるし、段々と配慮不可能なものにもなってくるかとは思います。


そうなってくると、まあ、不運への対処の仕方を、個人としては持っておくような必要性はあるかもです。
世の中の大部分の人とは違う故の不運、不遇ですね。
ぶっちゃけ、支援してくれる人が打算と言えば打算な事もあるかもです。私の理論を証明し、みたいなのはある訳で。我々も誰かの弁護をするのに何らかの打算が無意識的にでもあるのですが、それは被害者とかの個人の救済とは厳密に違うという事です。一緒に夢見てる分には共同幻想っぽいですが。


そういう事を、薬の副作用とかで考える必要のある時代だということです。