中立ポジションとかはともかくとして、蓋然性とかを考えると、かなり問題あるところまでは間接的証拠が積み上がっている気がするが。

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裁判での争い方というところで。

多くの人は「松本人志氏が有罪/無罪」(松本人志氏が不合意で性交したのかわいせつしたのか)のラインで見ていると思いますが、実際起こされる裁判は「週刊文春が有罪/無罪」(記事の内容が真実相当性があるか否か、原告が松本人志氏なので、松本人志氏が言ったか言わないか等)の為、勝とうが負けようが多分細かいところの争いをやりそうで、金額も弁護人への報酬を釣り上げる為のような気がしていますがともかく全額認められるようなものではないような気がします。


松本人志氏がどういう裁判を行うかがちょっと予想つきにくいんですが、「後輩が準備しただけで俺は知らん」というのはある程度やれそうな気がします。あのメモも「松本氏の好みの女性を後輩が聞いてきたから」という言い訳も立つでしょう。


おそらくは大衆が望む「スッキリした話」は降りてこないし、裁判の行方はともかくとして、おそらく大衆は見方を変える事はないでしょう。故に、週刊誌は結構憎まれるもんです。

メディアの変革は行われなければいけないが、今んところかなり厳しい。

 ジャニーズ問題から我々が学ばねばならないもっとも重要な教訓、それは、予断をもって犯罪告発の声を封じてはならない、ということです。
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 これらすべてが、根拠のない予断です。こうした予断によってジャニーさんを信じ、犯罪の告発を黙殺したことで、テレビ局はジャニーさんがシロであるという既成事実を作ってしまい、自分らがそれに縛られることになりました。ジャニーさん、あんた間違ってるよ、あんた頭おかしいよ、といえる人がテレビ界に誰もいなくなってしまったこと、それが問題をこじらせてしまったのです。

 犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。その上で、双方の主張内容を比較検討し、どちらが正しいのかを考える。これが法治国家における正しい手順です。
 たとえ99回虚偽の訴えが続いたとしても、100回目の訴えが虚偽であるとはかぎりません。毎回、訴えは公正に検討され続けなければなりません。
 どうせまたウソだろ、なんて予断をもって正当な告発を却下してしまったらどうなりますか。犯罪者が野放しになるんです。
 冤罪がなぜ重大な問題なのかというと、真犯人が野放しにされ、犯行を繰り返すおそれがあるからです。犯罪被害の告発が事実なのに黙殺してしまった場合も、真犯人が野放しになり、犯行を繰り返すかもしれないという、冤罪とまったく同じ状況が作られます。
 だから犯罪被害の告発を軽々しく否定してはいけないのです。その失敗を教えてくれたのがジャニーズ問題であり、テレビ局はそれを学んだとばかり思っていたのですが……。
 最近の松本人志さん性加害疑惑の報じかたを見てると、テレビ局がまた同じ間違いを繰り返そうとしてるように見えるんです。

 もちろんすべてのワイドショーを見たわけじゃありませんが、いくつか見たかぎりでは、とりわけお笑い芸人のなかに、まだ事実はわからないと前置きして中立を装いながら、それに続く主張が暗に松本さんをかばうような流れのコメントをいう人が何人もいました。
 そもそも松本さんにどんな疑惑がかけられているのか、その詳細にはほとんど触れず、松本さんを心配してはいけないのか、仕事のなかった頃に松本さんの番組に呼ばれた恩があるから信じたい、などと人情論だけで松本さんを擁護する芸人、タレントのコメントばかりが目立つ『ワイドナショー』が一番偏ってました。
 女性側をむやみに疑うべきでないとはっきり主張してた人はごくわずか。大半のタレントは、あたりさわりのない言葉を注意深く選んで、どちらにも取れる発言しかしていないように見えました。
 松本さんにかけられている疑惑について詳しく報じずに、擁護する仲間や後輩の人情論ばかりを流すのは、公平とはいえません。番組制作者が、松本さんが犯罪者のわけがないという予断にひきずられて出演者を選んだり、番組を構成してるのではないかとすら疑ってしまいます。

松本人志さんの罪についての考察と提案反社会学講座ブログ

日本のメディアは、報道、バラエティ含め、厳しい局面に立ってはいると思います。
バラエティ的に報道を行ったりという形式は、バラエティ番組の人気・拡充によって行われており、その中で報道の地位は低下しています。というとニュースZEROとかどうやねん、報道ステーションとかどうやねんという話もあるでしょうが、あれらの番組では「(特に芸能)スキャンダルを扱うのはどうか」というような文化が醸成されています。
政治家に比べれば、スキャンダルとか・・・・・・とは思わなくもないですが、元々報道の人は下半身ネタを得意としていないし連携もしていないような気がします。ノーパンしゃぶしゃぶ週刊現代だったはず。新聞やTVのメディアはこの手のスクープを追いかけません。


この手の性犯罪は、比較的微罪として捉えられ、金で解決するもの、という認識は根強いのかなと思います。


この辺り、ちょっととある女性記者を思い出してしまうのですが、あの人、私は田嶋陽子的アイコンと思ってまして、多分かなり「現場の常識」に従ってないし間違いも多々やるのですが、まあ時代進めるのに必要とされるタイプですかねと思ってます。


実は、ワイドショーの中で、芸能レポーター的な人は、どんどん減っています。
ja.wikipedia.org
その中で、上沼恵美子等を要する西の番組はちょっと異様というか、芸人だから擁護という事もなしに、憶測の上で意見は喋っていたりはします。


ただ、多分意識的にではなく無意識的にです。
松本人志氏の報道?を見て思うのは、松本人志氏の話になると途端に番組の話が「表の話」になってしまう事です。変な話、「楽屋ばなし」「裏話」をバラエティでも売りにしていたような気がするのですが、本件になると途端にクチが重いなと。こういうのに関しても一つのネタにする事もあまり出来ずにやってしまう。


もうひとつ、多分メディアとしては「我々は関与していない」意識が先行して、実はそのホテル、バラエティ番組の収録で松本人志氏ではない誰かが取っていたりしているだろうという事が、TV局としての関わりの認識が薄く、たしかに報道は関わってないかもですが、局としては関わってたであろう事、その部屋で胡散臭いパーティが開かれてたという所が、どこまで把握されていたのか、おそらく調査していないor調査出来ていないという事になるかと思います。
もしかしたら、松本人志氏の裁判にかこつけて松本人志氏が戦ってくれるのでセーフだと思っているのかもしれません。
でも、人権デューデリジェンスとか言っている話の本質は、「私は見てない直接知らないので関係ない、では駄目だよ」というお話なんですよ。
もちろん、今回の文春報道でみんなは松本人志氏のその動向を気にしてもいいと思いますが、業界としては、当然ながらこういう事件が発生しないような形式あるいは責任の所在の明確化、変な場所提供のないような形式、等を考えていく必要があるんじゃないかな(このインパクトは、全ての出演者、スタッフに関係してきます)と思います。

吉本興業所属のロザンによる説明

youtu.be
暴露話は全然ないですが、自分の立場を控えた上で極めて丁寧に説明されています。中でも、「これは世間が誤解しても仕方ない、世間がそう取っても不思議はないよね」という事も言われておられるのは真面目だなと思います。


この芸人の晩の遊び方に問題があるのはまあそりゃね。