http://anond.hatelabo.jp/20131106001822
を見て。
わざわざ電車に飛び込む必要もなく、実際に自殺の方法として圧倒的多数は、縊首です。
つまり。
国立安楽死センターみたいな施設を作るべきだ。そうすれば、新小岩駅が悲惨なことにもならないし、肉の塊や糞尿などを処理する必要も無いし、飛び降り自殺や有毒ガスによる自殺の二次被害も出ない。鉄道のダイヤが乱れることも無いし遺族に過大な請求が行くこともないだろう。
ほとんどの場合には、「新小岩駅を悲惨なことにしないし、変な処理もいらないし(死体の片付けはあるけど)、自殺の二次被害も原理的にはほぼ出ません。
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2011/html/honpen/part1/s1_1_10.html
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2011/html/honpen/part1/s1_1_11.html
敢えて施設を作る必要はないでしょう。
既に、穏やかに逝っている人は逝ってますし、それにそんなにハードルが高いと思われるような状況はありません。
増田も勘違いしていますが、「安楽死→自殺の幇助」ではありません。そうされると本当に安楽死が必要な人という所での議論に支障を来すので、イメージでも使用は辞めて欲しいもんです。死ぬ前から迷惑です。
増田の意味での自殺・自殺幇助を認めている国は世界の何処にもありません。だけども、自殺者がいない国というのもまあ寡聞にして聞きません。
原則論として、自殺幇助は、自殺出来そうにもない人が使うものであり、縄を見付けられないとかその手の話は、自殺幇助施設なんかよりその前にしかるべき教育機関にあずけた方が良いと思います。
ちなみに、自殺の場合、基本的には遺体はあんまり活用できないものとお思い下さい。
だいたいにおいて、勝手に死なれると鮮度が足りないという事になります。正直な所、その辺りをクリアしようとしたら、移植手術が順番待ちなように、自殺も順番待ちになるとは思います。簡単には適合しませんし。
人体実験用になるかと言われると、希死念慮に駆られた何かはあんまり使えないのでお断りされると思います。
そう、しばしば、「自殺者・死刑囚の肉体の有効活用」みたいな路線を言われるのですが、「命の軽重」みたいな天秤の話にされるんですが、主張している所の計算が非常に雑でして。そもそもこの辺りはわりと経済合理性の計算が難しいです。
臓器移植そのものは、費用はかかりますが有用である、と政治的にはお話されてます。ただ、医療費が高額であることは間違いないです。また、自殺者の大半が「健康上の問題」を抱えていて、また、「金銭上の問題」も健康に結びついてくるとか考えると、そもそも役に立たんという論が入ります。
実際、自殺幇助がある国での自殺は、「死にたい人が死ねる」というよりは、「高齢者をいかに殺すか」という事に腐心している節が見受けられます。主張されるイメージは、エリジウムみたいな所で椅子に座りながら死ぬ、とかなんでしょうけど、実際には、「ごめん、保険おりません」「なのでちょっとお薬飲んでみませんか?」みたいな動きを公でしているという事です。
当たり前なんですけど、「自殺者の意志」なんて、外の「社会」ではクソの役にも立たない訳です。
何故そうまでして(臓器譲り渡して)受け入れてもらえてない社会に媚びるのか分かりません。まあ、それで安らかに眠れるとかナカナカスゴイなと思います。