見る気はなくなった。

www.cinema2d.net
エントリ主「が」悪い訳ではないんだけど、ネット上で映画批評・感想があまりにも露出が多く、そして感想を装ったマーケティング活動(ライターに金払って書かせるとかともかくとして、映画評コーナーみたいなものが検索して出て来る)が増えてる為に、見る前から出来がわかるというのも、少し味気ない気がする。言っても仕方がないのだけど。


エントリ主は、表面上は点数をやっているが、物語の後半が駄目という話は、そもそも映画としてのクオリティは低いといわざるを得ない訳で。
あと、映画の造りとして、物語進行に問題があるというお話の時に、「演出」と表現されるのはどうだろうと思う。これは脚本家にクレジット載せてる責任範囲での問題であろうと思うが。

でもしかし、なんていうんでしょうね。後半率直に言って「泣かせるためにムリヤリ人を殺しすぎ」で映画的にあんまよくなかったと思う。上野鈴華が演じたあの同級生の女の子の自殺とかさ、いくらなんでもやりすぎでしょ。

映画『ミッドナイトスワン』作品としての評価と、作品への倫理的な批判に対して思うこと - CDBのまんがdeシネマ日記

ここね。


ブコメでは、後半が駄目だったら駄目じゃんとは書いた。
けど、そもそもCDBの人がテーマの取り違えをしているというような気がする。
そもそも監督は、娯楽色の強い人なので、むしろ前半は後半の為の前フリでしかないと思うわけだが、というのも、他の作品を見てないがざっとあらすじみて、そういう傾向にある人だなという。テーマ的にも、とりあえずある程度可愛そうとか感情の落とし所は置いておいて、バンバン後半に向けてやっちゃうタイプのものだと思うよ。
トランスジェンダーというところを真剣に取り扱ったドキュメンタリー、とかではなくて、社会の底辺層に対する我々のステレオタイプな見方を使って心をざわつかせるというものであり、どう言ったらいいのか分からないが、トランスジェンダーをテーマにしているというより、社会における畸形的な存在として、一つすこし現実風味のトランスジェンダーを付けたというところで。


うーん、どう言えばいいのか、とりあえず、娯楽として作っている場合には、前半部で仕込んだ状況から、後半部はその仕込みに従って、ちゃんと主人公たちがどうにかなるべきで、その辺りはキチンと処理されているのではと思った。
現実はそんな一方的に悲惨でもないだろうけど、前提が悪いと、映画的に不幸な事の連続が発生する訳で、どちらかというとハイ・コンセプト寄りに寄せてるんだろうし、話のあらすじよりも展開のバラエティやえげつなさの演出みたいなものを見るものではないかな。


あと、これは「理想的な社会を描く、最終的に社会が変わるという物語ではない」事もあって、ものすごく偏見的、に見えるだろうが、現実として偏見にさらされていてという舞台を作って、あとは主人公達に共感してもらえるかどうか(映画的には普通の人として見えたら)というのが、ある意味監督の勝負事なのであって、
「草なぎたちがよく演じている」という風に見てしまうなら/見られてしまうなら、それこそがあんまり上手くは行ってないのだという感じだと思う。


まあ、人権派の人にはあんまり理解してもらいにくい話なのだが。
「普通の物語の主人公のように、非業の死とかを迎えられないマイノリティの人々」ってのもなんか変なんだよ。