勘違いされがちだが、名作とか古典が「オリジナリティが高い」訳ではない。

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エルフやドワーフは童話の中でも存在するし、オリジナルのはホビットだが。
アメリカは神話や童話のない国と言われる事があるのだが、指輪物語アメリカでブームになったのはまさに「自分等の国に持ってきても問題ない」からというのもある。
ファンタジーはそもそも「オリジナリティ」が重要なものではない。むしろ「民話や神話、古文学を模した創作物」なのであって、そもそもオリジナリティを誇るものではない。


指輪物語が「異世界」だとは誰も言ってないというか、一応、あれは「むかしむかし」という設定である。神話はロード・ダンセイニの影響をモロに感じるし、エルフが渡る先はケルト神話のティル・ナ・ノーグを模しているし、アラゴルンたちの先祖が住んでいたところはアトランティスのネタをやっている。


ゲド戦記の方がかなり世界がオリジナリティあふれるといえばあふれるものだが、世界を描ききってはおらず、北半球の知識を前提としている。
そんな作品は古典なものでも大量にあるし、グイン・サーガが参考にしただろう英雄コナンシリーズも、一応キンメリアを前提にしていることが書かれ、現実の歴史とは当然ながら違うが、「むかしむかし」の形態を取っている。


それに、「転生」部分を除けば、異世界物語は結構昔話でもあるもので、ガリバー旅行記のようなその流行をネタにした風刺小説もある訳で。


アルスラーン戦記も、「イラン辺りを舞台にしました」とかがオリジナル要素とかにカウントするのかというとそれは違うだろう。
ロードス島戦記はそもそもD&Dベースだしな。指輪物語は読んでなくて書いたらしいんだがそれはそれですごいなという気はする。


そもそも指輪物語ナルニアもゲドも、「大作」の部類で、お前これら何年かけて書いてると思ってるのか、小一時間くらい問い詰めたい。
ファファード&マウザーシリーズも、ファンタジーとして古典ではあるが、雑誌掲載とかの都合もあり、物語としては小さい話が細々書かれるという感じである。しかし、その影響はかなり大きく、人間臭い主人公を書いた、主人公二人は悪党というかまあアウトローであり、ファファードは蛮族、マウザーは盗賊である。盗賊ギルドの初出ここ。
よく私が引き合いに出している「ハロルド・シェイ」シリーズは、心理学者のハロルド・シェイが、三段論法的転送機という、タイムマシンではなく紙切れを読む事によって世界の認識が変容し、物語の世界に入るという「異世界行き」である。背景説明?よく出来た背景?まあ北欧神話の中に入るのが第一巻だしな。ちなみに異世界から嫁もらってくる。


なんかファンタジーの古典とは~と一括りに語れるものは全くない。
というかまあ、ファンタジーブームだーとか言ってるような時に、なんで英雄コナンとかスルーされるのか、エロなんかの娯楽要素は蔑ろにされるのか、毎度ながら腹が立つ。
騎士道物語を意味するロマンスが何で今恋愛小説の意味になってるか、ちゃんと勉強しろよ。昔からファンタジーに恋愛要素ゴリゴリに入ってるぞ。
そもそも、単位めっちゃ気にしてるけど、結構些末事、移動距離とか昔から相当雑で、むしろ「どうやって生活してるの」という民俗的な要素に関しては、なろう小説の方がまだ書かれていて、チートと銘打ってないだけで古典ファンタジーにもご都合主義てんこ盛りである。「共通語」とかめちゃくちゃ雑な設定とかあったりするし、そもそも言語の設定もあまりちゃんとしてない。指輪物語ですら、「何故ホビットとエルフと人間が会話出来るのか」というところ雑処理である。そもそも、「世界が丸いか平か」という事を気にするやつが主人公の物語って古典でもまあ見かけない。
なろう小説で戦記物ではウォルテニア戦記とかもあるだろう。なろう小説は~とかって話の雑さもあるし。
本格ファンタジーなんてアニメ化しにくいに決まってんだろーがとか。


なんだかなあ。
現代のファンタジーをキャッチアップするのが難しくなった、とにかく作品は多いし全部は読んでられない度合いは加速しているとは思うのだが、
過去を正しく知らない上に現在を追いかけてもいない、時代に取り残されたオタクっぽくて、
とてもではないが賛同出来ない。