まあそうなるか。とは言え、「自分の患者が死ぬ事の手助け」とかではなく、ネットで知り合っての「明らかに自殺幇助の為に手を出した」というところは書いておきたい。

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正直なところ、「安楽死に関しての思想が強い」医者という事であり、社会で容認されているようなあり方ではないので裁かれるのもそうだろうなと。
この安楽死の話に関していうと、がん患者が途中で治療を要求したが現場の医師に認められず死亡した事件も思い起こさせる。「同意」とかはかなり確証とするのに難しいものである。


実際の落とし所として、一定期間を設けて意思が変わらない場合に安楽死を選択する幅を与える、というのはアリだとは思う。
逆に言えば、例え同意があったとしても、簡単に安楽死というのは言いづらい。


また、家庭環境が悲惨であるとか、そういう事情で死を選ばさせられているのではとか思うと、難病患者家族へのサポートというのももっと進んだ方がいいのではとも思う。しかしなあ・・・・・・今ケアって、「弱った時、困った時にのみ使える何か」という形になっていて、昔あったかどうかは定かではないが地域社会で受け皿になるというところが、我々の社会実は大事というのは考えた方がいいんではなかろうか。
地域社会への貢献というのを、ちゃんと返報する社会の方がいいんではなかろうか。


高齢化社会を迎えるにあたって、税金ではないが地域社会への奉仕活動を一定考えた方がいいのではなかろうか。いや大したことじゃなくてもいいんだよというか、本当にちょっとした事のサポートがあれば、例えば買い物で歩いているおばあちゃんがいたら荷物持ってあげるとか、そういうのが沢山行われていたら困らないかもしれない事というのがかなり多いんだよなあ。
あと、高齢者の行動範囲がなんというか若い人と混じらないような社会になっていっているような気もしている。介護施設がちょっと町外れにあると。そこで生活するともう若者ですら助けて上げる事が難しい。社会の真ん中に老人用のURとかあっていいんではないかと思う。


なんだかなあ、金持ちになってリッチな生活、とかは私には一般論で言う事は無理なんですが、もう少し協同化して生活するというのを考えても良いんじゃなかろうかと思うのです。
細けえ利益供与とかの値付けはともかくとして。