四面楚歌増田。

四面楚歌の話は、史記で読んだ。
小学生ぐらいの時であるなあ。


一応言っておくと、史記にも漢書にも、特に「韓信の策で〜」という話はない。まあぶっちゃけ完全に包囲している状況で、わざわざ嫌がらせする意味もないだろう。で、おそらく、事実として、漢の軍勢に楚の人もかなりいたと思われる。
元々、軍の数がやたら増えたり減ったりするのだが、当時十万の兵だったのに垓下の戦いで撤退する時には八百騎とかになってた訳で、軍の殆どは単なる農民だからなあ。まあ昔の兵隊ってそんなもの。
故に、項羽が全軍穴埋めとかやってたのは反発食らう訳である。そりゃ人民が抵抗するわなあと。


ここら辺の歴史の魅力ってのは、もう、武将クラスでも別に仁義に厚いとかそういう感覚がちょっと現代人とは違っていて、褒美くれりゃ協力するぜ的な雑さ、で、結局そこら辺はまあ酷いもんなので、人間不信に陥りそうな世界です。
が、まあ裏切りも含めて動きが面白いのはこのあたりの時代ぐらいかもなあ。