文章を書く業とか。

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個人として、SNS辞めるという選択肢は、個人に対して「交通事故に合わない為には車を使わないに限る」というような感じにも思える。

多分年食った人はそれが出来るが、今の若者なんかには、それは難しいのではとも思う訳で。


ネット上でおかしな交流が発生していたのは、mixi時代からずーっとあったし、見知らぬモノが見知ったように振る舞うという異常として扱われてきた時代もあった(それが正しいとは思わないのだが、ネットに特化されたものではない)。コミュニティにいられなくなってヤメ→別IDで転生というのも結構あった。
年寄りの仕草として、SNSのアカウントは、リアルの個人名と紐付けないのは、炎上するかどうかはともかくとしてリアルと結びつくと厄介な人は昔からいたという事の裏返しである。


まあでもリアルでも「ヤバいオバサンオジサン」はいたので、揉め事の電子化と考えればいいのではとも思う。

木村花とテラスハウス

女子プロレスは最近特に追い掛けてなかったし、TV露出が新日本プロレスではうまく行っている状況から、TVに出て行くのもあるのだと思う。
選手についてはほぼ情報を持っていない。お母さんの方は分かるのだけど(紙で見てたプロレスファンである)。


テラスハウスとかのリアリティーショーは、電波少年以降見る気はない。あいのりも噂くらいしか聞いてない。
番組として、出演者に不幸が訪れる作りになりがちなのはマジであって、リアリティ寄りに振ってくとそうなる。
リアリティショーは、ちゃんと脚本を書いてあるものでないとマジで人生を壊していくところもある。


ゴシップ雑誌も報道であるように、人の欲望には暗いものだってあり、それは人が不幸になっていくのやけしからんものを眺める欲求があり、故に劇作であっても悲劇なんかがある訳で、テラスハウスの作りも「SNSありき」な部分はあると思う。


怖い事に、「テラスハウスを知らない、木村花という選手を知らない」人間でも、揉め事ヲチ、ワイドショーを介して知る事があり、「世間一般の正義や外部の正義を参照しながら文句言う」という事が、情報消費社会では起こっている。

今回の問題を解決するには、問題をどこかしら矮小化し乱暴に処理するしかないのだが。

「敵に回すと恐ろしいが、味方にすると頼りない」というのは民衆のそもそもの性質であるだろうし、民衆の暴力を制御しようとして国家が規制をかけ国家によっても暴力が行使されるのも流れではあるからで、民衆そのものを解体するというような形は、しかしその上の国家、組織を揺るがしてしまう。実際に揺るがされているからこそ、SNS上で剥き出しの暴力が現れるのでもあるので。
銃で脅す、法で脅す、それそのものは国家が神聖にして中立であれば問題はないのかもしれないが、そんな神みたいな存在になる訳がなく、まあ最近辞職されましたがああいう歪みはある為に、暴力に関するものは、相互的に監視されゴチャゴチャされるしかない。


しかして、社会は真っ当になっていかざるを得ないので、何らかの規制が敷かれるのだとは思うが。


何とも手が出しようがないが、番組にも彼女にも縁のない人間が勝手に共感して正義を振るうのもなんか違うしなあ。