事情が違いすぎるし、歴史も違うだろうと。

改変しても脚本家が批判されないハリウッド事情 事前にどんな形で映像化されるか確認するのは困難 | 映画・音楽 | 東洋経済オンライン

そもそも映画の脚本とTVドラマの脚本は違うし、初稿から何十回もリライトして作るようなのがハリウッド映画の脚本である。何年かかけて脚本が書かれ、やってる最中にボツになる事は多い。
脚本を作る時に原作の翻案権を期間で買うし、その間に書き切れなくて終わるプロジェクトもある。別のところが権利持っていく事もある。


原作者だけが原作の権利を持つわけでは勿論なく、マーベル・コミックとかは会社が持ってて書かせてるとか、権利関係はかなり明確にしている。


この辺りは、遠慮なく権利を奪い取ったり社員引き抜きやったりするようなところから、権利を守る為に生まれたのが知的財産権であるというところにもなってくる。


ちなみに映画のクレジットに乗る乗らないも権利ごとである。


ちなみに、ハリウッド映画でも原作者と揉めた事例は数多ある。ネバーエンディングストーリーとかはそうであるし、シャイニングなんかもそうであるし、チャーリーとチョコレート工場もそうであるし、フォレスト・ガンプもそうである。



ただし、脚本を嫌っても脚本家と揉める事はまあそりゃない。大体は監督やプロデューサーが決定権を持ち、脚本は時には何十人ともリライトされるからだ。
揉めない為に契約がある、と言えばあるのだが、その前にエージェントがちゃんと交渉役として出て来る。
ただ、日本の方が脚本家立場が上かというとそうでもない。その先にショーランナー等のポジションが日本の場合どうもないからだ。元から脚本家一人二人なのでそこやってるとも言えるのだが。


色々考えるが、やっぱりあの脚本家がおそらくは会社に対しても相当にやってるとは思う。


こう言うとなんだが、大企業ではこうやってるんだ、という話を中小企業に簡単には適用出来ないような、いやまあそれ以上のギャップはあるよなと。


ちなみにだが、スーパーマンの生みの親、ジェリー・シーゲルジョー・シャスターには6万ドルしか支払われてないらしい。なんとも夢のない話である。