蜷川というキーワードで大体片が付く。


京都市長選雑感 立憲と共産が組めない理由/善戦ではなく惨敗

 

蜷川府政辺りが丁度プロパガンダが飛び交ってたという時代でもある。

永らく京都府民ではあったが京都市民ではなかった、しかしまあ大学の自治とかの話を伝えるものとして少し。

 

 

京都の共産党の強さは、蜷川府政の時が多分一つのピークで、そのイメージで喧伝される。教育改革とかである悪い評判、メーデーでお休みする教員の話等ある。

まあ、昭和とかは労働組合の圧とかが今の100倍は強いのでアレだが、ある意味繊維産業とかに共産党強かったんではなかろうか。

共産党が介入する労働組合のある意味の強さは、党本部からの命令をかなり聞かされる形が強く、多分他の左翼から共産党が孤立したのは、特に左の諸派に対してレッテルを貼り差別的な取り扱いをしたという所による。

まあ、思想的に近かろうが、対立した側を掌を返すように切るのはやっぱりちょっと情がなさすぎる。

 

 

えて言えば、解同の脅威から守ってくれたかのようなエピソードが、プロパガンダなんだが神話のように語り継がれるという話で、多分これ京都市の西側の方の伝承じゃないかなと思われ。

 

 

しかし、「過去の恩義」とかで政治家選ぶのがおかしい、と言われれば、まあおかしいんですよ。

まあ何をするのかに興味持たれない選挙って、クソとしか言いようはないですしね。