感情と儀礼。

「何か特別な事だから」、過去に理由を探すのは別に悪いとは言わないが、「現在何故そういう感情が起こってないか」という事には直接結びついているとは「限らない」。

人が死ぬと悲しい、人が病気になると悲しい、というのは、広範囲で見られる感情ではあるが、これが、形式によって定められたものである事を考慮する必要がある。
特に、「不幸な状態であるから病気である」というような定義がある事を失念してはいけない。
我々は、「泣くから悲しいのか」「悲しいから泣くのか」という事を、厳密には事実から導き出せない。

ただ、念の為に言っておくが、
感情が形式的に発生するから、というので、所詮人間の感情なんて化学物質が生み出す何かに過ぎない、というような事を言っているのではない。
我々が、認識している世界そのものが全て形式であり、しばしば形式に対立して定義される感情も本来は形式の亜種であることを言っている。

化学物質を持ちださなくても、例えば、特に楽しくない事でも「ワロタw」「フイタw」と「言うことで、楽しくなったりする」経験を幾らかしているのではなかろうか。
そういうことが全てとは言わないが、「理性と感情は別」という言説を疑ってみるという事は、たまにはしても良いのではなかろうか。