冴木忍の思い出。

ちょっとジオシティーズの話が出てたので。


多分、大体2002年辺りだったよなーと記憶を探ってみた。www.geocities.co.jp
酷い文字化けだけど、FirefoxIE辺りなら読めるかな(ちなみにCentOS7でFirefoxで確認した。読めた)。


UNIXって文字コード昔はEUC-JPだったのよね。若い人は知らないと思うけど。だから何って訳ではないけど。


冴木忍は、富士見ファンタジア文庫黎明期に出て来た、ファンタジア長編小説大賞だったかで第一回で佳作、からですね。神坂一と同期。
この辺りでデビューした作家さんは、一気に冊数を出して既に余生モードに入っているのか2000年以降は微妙という気がしなくもない。ここら辺、レーベルが出来たくらいから成長してきた自分としては、何というか栄枯盛衰としてはかなり切ないものを感じます。
「名前を出せば聞いたことがある」が「ラノベ作家としてピックアップされる時には出て来ない」、そんな感じがします。
代表作は、「卵王子カイルロッドの苦難」。おそらくこの作家さんの作品の中では一番まとめ上げられたものと思います。多分テクニックではなくて素で。あと、リジィオやメルヴィ&カシムもありますが、これらがおそらく作家さんの方向性にはあってたんだろうと思います。
妖怪寺、風の歌星の道、星の大地、この辺りは、好みが分かれるところでしょう。


黎明期の作家だという事もあり、かなりプッシュはされてました。すれいやーずとかの影ではありましたが、小説畑としての色は強く残していた感はあります。ただ、何というかですね、キャラクターの作り方が雑というか、深みのない感じが途中で出てました。一巻で舞台を使い切って次へ、みたいな書き方をするところもありまして、自然脇役がテンプレに近いものになってはくるんですよねえ。
ただ、まだ濃い作品が望まれていた訳では・・・・・・うん、ゴメン、多分ファンタジー小説に関しての評価はボクは甘い。
書き始めや最中はいいんだけどねー・・・・・・あとから読み返すとかなりキツい。


無論、書いた冊数とかも凡百ではない・・・・・・ただ、キャパ以上に書かされてる感はある。でもあのころの作品はそういうの多かった。ラノベじゃなくても。


まあ、それはともかくとして。
大学卒業するぐらいというか就活中によくメイン掲示板を覗いてたし、書き込みもしてたけど(古株ではないので名前は上がってません)、当時の掲示板のグダグダさを思い出すとちと懐かしくもなる。
引用もグッダグダだし、URLも不親切、正直なところ、「何があったかをキチンと書く」という事がないもんだからさ。レスが絡み合って読みにくいんで、もう昔のとかは当事者ですら雰囲気しか思い出せないしそれも曖昧。わりとしょうもないところで突っかかってるところから見ているんだけど、なんてーんだろ、「何か意見の対立があった」んではなく、「明らさまに敵対意識を持って会話していくのが積み重なった事によって敵意に昇格してる」みたいな感じなのだけど、喧嘩しつつまわりの人とはむしろ優しめに接してるという、人間関係の操作みたいなのが、単純に苦手でした。
まあ、掲示板という時代だと、話の内容が続いてないにも関わらず、同じエントリで複数の人にレスを返すとかになってくるんですね、何でだろう、システムの制限かなあ。まあ2chもそうなので、「一エントリ=一人の発言」という感覚なんでしょうか。


他の作家さんの掲示板は知りません。こうやって崩壊したのを見たからか、何となくですが「作品批評とかあんまみんなでするもんではないなあ」という意識がかなり昔から私の中にはあります。
あと、小説の評論って、「何でおもしろいのかを説明する」「うまいこと説明しようとする」というところがあります。キチンとした作品の構造を読んでの評論ってかなり少ない。素人ですもん、それでいいとは思うんですが。あと、キャラ論が一人歩きし過ぎていて、物語の構造はあまり分析されない、ほぼ評論の切り口って「作り手側の理屈」になりがちなんですよねえ。
そこら辺ウダウダ言っても仕方ないのですが、厄介な事に、「作品に興味を持ってもらうには、そんな分析ではなく、意味を追加してあげる方が重要」という所だったりもあって、いつの間にか作品批評の界隈が、「うまいこと説明しようぜ」という空気で埋め尽くされたなあと。
ボクはエヴァンゲリオンは見てませんし、エヴァ評論もあまり見ていませんが、アニメよりもコンテクスチュアルに偏り過ぎた、まあアニメの方が見ててまだ分かるわというような評論って、ほぼエヴァオタのクイズにしかなってないような気はしてます。


閑話休題


まあ、自分の好きな作家の公式が、こうやってロクに管理もされず沈没していくというのを見ながら(ただ、アレを捌くのは容易とも思ってませんが)、Webで議論をするのは難しいものだなとは思いました。
正しくは、議論をするのは本来難しく、リアルでは顔を見る事で若干は緩和されるものの、議論の土台を作る事がもう難しいんですよね。
議論の土台とは、「知識」とかではないんですよね。議論に必要な最低限でありまず見かけられないところなんですが、「相手の行為に関して少なくとも議論しようとしているという合意」ある意味楽観的かもしれませんが、発言の好意的解釈というのは必要なんです。
修辞的に煽りなんかもあるかも知れませんが、本来、「対話が出来る」というのの最低限の知識として、発言の好意的解釈というのは必要なんです。ここ近年Webでは成立しない前提にはなってしまっているんですけどね。リアルでも政治とか見てるとそんな感じですが。念の為言っておきますが、やとうがーとかよとうがーとか「断裂の責任者探し」するのは無駄。


あと、やっぱ多作だろうが寡作だろうが、流行作家がそのまんま残っていく訳ではないんですよね。
むしろそこら辺で、すりつぶされる作家たちの方が多いんですよね。
ヒット作を作れる理屈ってのは、どうも完成していないというか、テンプレのパターンは重要なんですが、テンプレであるからこそ人気の秘訣にはならんという・・・・・・・完成「出来るものではない」という感じで。
ただ、歴史的に残る作品というのは、ハッキリあるんですよね・・・・・・


だいたいは、「ジャンルのくくりの中では収まってない」のはあるんですがね。あくまでも「凡作ではない」説明にしかならんのでねえ・・・・・・