自殺による"抵抗"という風潮。

自殺という行為はかなり矛盾のある行為で、「自分で死ぬ事はないよな」とまあ一般論的には言える事だとは思うんですが。


ただ、「死を賭しての抗議」みたいなのが、メディア含めて定式化されてて、やはり自殺にも一つの価値を変動させる力があって、それが良いのか悪いのかは置いておくとして、悪くない立場の人が自殺するという事が増えるんだと思います。
無論諸外国でも自殺にはそういう側面はありますが、そこで多くの国で、殺人の方が発生しているように思います。


日本の場合と典型的にはアメリカの場合との違いは、うーん、完全に違うわけではないんですが、「自分を殺した周りに対しての社会的報復を期待したりして死ぬ」「周囲を気遣って声を殺して死ぬ」など、妙な目配せがある気がするんですよね。
社会への期待感もあれば不安感もあるけど、社会への寄り掛かり度合いが強いような気がします。
また、自己と所属集団の境界が薄い気がします。


文化盗用・剽窃、って所で、あるオッサン、てか在華坊が、口汚く罵ってたんですが、「白人の贖罪オナニー」とか言われてたんですが、ふと思ったんですよね。
在華坊、肌白くない人であったか
と。
ああ、何となく妖怪をイメージしてたので、まあ肌白そうな気がしてたんですが(点描で描かれてるイメージ)、最近おせっかいさんに思われてる妖怪が、人の世のおせっかいを批判するのか、とかちょっと思ったわけですよ。


おせっかい否定するわけじゃないんです。
パターナリズムという言葉が使われた時に適切だなと思うケースもあります。人を不安がらせない為に情報統制するとかそんな感じありありですかね。
ちょっと自分の脳天に突き刺さりそうな気がするので(とっても捻くれた罵倒ですし)メタ概念だしベタな所では自分はあまり使えないかなーとは思いましたね。
余談ですが、頭の中で「aukusoeなら喜びそうな」とか正直思いました。


閑話休題


自殺からだいぶ飛びましたが、こういうのを見つつ思うのは、白人様、と呼ぶような時に、スルッと「我々日本人は」というような、対立する集団に同化してるような物の見方って頻繁に発生していると考えています。
無論、日本人特有、とまでは思っていないのですが、この無意識的な集団への所属の感覚が、人を他殺ではなく自殺に向かわせている一因にはなっているのではないでしょうかね。