こういうのって、ある種の「不誠実さ」には繋がってくるんだよなと。


大事な事なので、強調して書きますが、
科学は研究の結果、理論含め更新される事はあります。
また、研究のレベル自体が全て横並びでもなく最先端を参照しあっている訳でもなく、アップデートされずに放置されている事もあります。
ただ、「どのように変わっていったのか」を説明せずに、結果だけ最新のを持ってきてアップデートする、というのは、無論間違いではないのですが、そういう自然科学の使われ方や広まり方は、自然科学というものが特別検証だったり反証主義で構築されていっているのではなく、権威主義だったり「他の分野、経済や政治学なんかと変わらないところ」でもあります。


もう少し、自然科学サイドも、謙虚に自分等の行動を振り返ってはいかがでしょうか。


インフルエンザの件を参照しての「マスクに感染予防効果が認められなかった」とかの件ですが、
めっちゃ簡単に言いますと、「結果の検証レベルが時代とともに精度が上がったりします」。疫学研究みたいなのは、日本あまり研究にお金出さないので遅々として進んでいないのですが、アメリカなんかでは公衆衛生が発達していまして(これも日本の国民皆保険制度がないからという皮肉な側面もありまして、治る病気でも治りにくいんですよねアメリカ、そのせいで公衆衛生的な予防の方が国家予算つけて進んでたりします)、海外で既に「エアロゾルによる感染」という言葉が出来ていたにも関わらず、日本語にそれを翻訳が上手く出来ずに「飛沫感染か飛沫核感染か」という古い概念で説明しようと頑張ってました。
でもエアロゾルエアロゾルです。
この領域は「環境工学・環境医学」とかを考えている人にはわりと理解されてはいたと思うのですが、それが感染症の分野には反映されていなかったです。
マスクがウィルスなんかを濾し取る説明で、穴の大きさを言っていた人は、現代の大学学部生の水準に知識がないので、その説明は信用に値しなかったのは、コロナのお陰で研究が進んで更新されたというのではなく、単純にその前に吸着現象の知識がないのにもっともらしく説明をしていただけです。
これ、出す前に大学の環境工学の先生とかにちょっと聞いてたら絶対に「それ変だよ」って突っ込まれたと思うんですがね。ちなみに原理としてはHPLCとかと一緒です。


ちょっと脇の話になりますが、マスクの場合、あくまでも原理がどうのというよりは捕集効率なんかで性能を判断されます。そして大体はそれぞれテストをされるのですが、日本製の花粉症対策マスクはPM2.5対応なんかもしていて、産業用の防塵マスクに比べて問題があるのは密着具合だったりします。フィルタ機能部分はそんなに変わらんかもしれません、くらいです。
ぶっちゃけ、マスクに注意を払っても、実際の感染経路の多くはマスクを貫通してのそれではなく、ドアノブや皮膚に付着したやつが手を介して感染するとかなんで、大事なのは手洗いうがいだったりしますし、マスクを付ける付けないで検証したとしても、手洗いうがいの習慣・各地の習慣によって別経路で感染する割合なんかありますので、案外疫学で個々の感染予防策の効果を導き出すのが難しいというのも覚えておいてほしいです。
例えば、トリチウム水の海洋放出の話がありましたが、そもそもトリチウムの影響なんて疫学的に調べられた事は直接的にはなく、間接的に推測するしかないです(β線が簡単なガイガーカウンターなんかでは検出出来ないってのもありまして)。そして、他にも放射線源は自然界結構あり(宇宙線なんかも降り注いでいます)、その差も大きくムラがあるので、正直よほどの健康被害があるものじゃないと、疫学的調査なんかで検出は無理です。どれくらい我々が放射線を浴びてるか、なんてのも実測値ではないんです(あくまでも雑な計算による推定値)。
エビデンスの確度に対する、汎用的に使える指標はなく、その辺りは科学界の雰囲気と、載った論文誌の権威によります。医学で広く権威があるのはNEJMやBMJ、あとCellとかの専門になってったり、一般論文誌でもNatureとかは権威がありますね。
もうひとつは、教科書的なものになっているのは権威があります。が、教科書は注意しないと古い常識のまま更新されていない事があり、私が時々遭遇するのとしては、「医学業界には、分子扱うようにはなってるけど、微粒子なんかの特性はあまり理解されてない(道具としては使っているが多分丸暗記的に使われている)」というのがあります。ここは日本の医学研究の良くないところで、アメリカでは医学部に入る条件として他学部卒業がある為、医学に結構他の学部の知識なんかが普通に入ってこれるのですが・・・・・・
結果として、日本の医学は、新型コロナウィルス感染症の流行予防にはあまり役に立っておらず、海外の研究に頼りっぱなしの状況になりました。無論国からのお金が少なかった事も事実ですが、それにしてもあまりにも新型コロナウィルス感染症の対策について、まとまりのない発言・発表が多すぎ、そして尾身先生が中心になった会議が出た途端、自主的な動きが低調化し対策研究等の公表を頑張る医者がいなくなった感じもありました。各地で医者の集まりで頑張られてたのは知ってますが、情報がマジでまとまらなかったなと思います。


ただですね、これは強調しておきますが、
たとえ古かったり情報がイケてなかった人でも、日本の医療を牽引し、現実に対応した人はそれなりに評価されるべきではあります。
業績は冷静に見て「ここは良かった」「ここは悪かった」という分析もされるべきではありますが、明らかに素人な提案をする天秤論者な経済界や斜め上提案な物理学界隈(今どきべき乗則みたいなの出すのはマジでどうなの)よりは遥かにマシだった訳で、ちゃんと成果は上げているように思えます。


あと、科学者というか学者一般の傾向なんですが、
「他分野の研究に関しては定説として捉えがち」「研究の時代背景を無視しがち(それイチイチ認識してたら面倒くせえのですが)」「全部の科学的見地っぽいのを『正しい』と考えがち」というのがありまして、話の中に古いものが混ざってたりしても、あるいは不誠実な研究があってもそれを正しいとしてべらべら喋る癖があります。
だからこそ研究不正に厳しかったりはするのですが、言うても現実として誤りを含む発言(当時の水準としてもとか当時の水準ではとかのエクスキューズはともかくとして)をしたなら、そういう旨の説明をした方が良いと思いますね。
別の言い方をすると、研究の限界の条件とか前提条件をちゃんと説明はしてない事、めちゃくちゃ多いじゃないですか。研究の成果を寄せ集めると、人間のイモータル化の前にラットがイモータル化してもおかしくないはずだと思いますが、それを「新しい研究で上書きされていく」という説明で済ませられるっておかしいわなと思いますし。
いやまあ、学者の世界って、人間性を削っていくところだとは正直思いますけどね。その辺りも含めて、説明とかしておいた方が良いんじゃないかなと。