社会の近代化と、多様性の見直しの話を少し。

www.turtlewiz.jp


このエントリを見て。
「我々の社会が、多様性を受け入れづらくなっているからこそ、『多様性』が大事な考え方として宣伝される」という逆説的な話を考えた。


昔は結構酷い家庭は多かったはずであるし、校務員のおじさんがちょっと喋れなかったりとかあったのだが、昨今そういう人が社会に働く場がないというか、昔会社の中に変なおじさんとかおばさんとかいたもんだが、なんというか清浄化されたような、そんな感じある。
会社で清掃員雇ってたりした頃は、そういう人を雇って問題なかったのが、その仕事の分業化で厳しくなったりとか、トイレの清掃とかわりと汚くても紙があったらまあええですやんという気がするが、やたらトイレがキレイになったりとか、日本はこんなもんではなかったのにな感はある。


昔は一年かかってたものが一ヶ月とかになって、いやまあコストは下がったと思うんだが、生産性が上がってる訳ではないものとかも結構あるのではないか。


なんというか、贅沢なものが低価格で提供されるようになって、社会として役に立つラインみたいなのがガンガン上がっているというような。
なんかねえ。