大衆は「科学」を求めてはいない。

最早、間違っていようが、みんなが「信じれる」ものを求めている。イチイチ考えなくても、一緒に行動したり一緒に唱えることで、一体感を得られる何かを求めている。


というのが、自分の中の結論だ。自分は違うので、「大衆」にはおおよそなれそうにもないが、「誰かが米のとぎ汁発酵液を使っている」「何か今の不安に効くらしい」で使う人も出るだろう。


Webの雑多な情報の中には、「正しい知識」も含まれている。ノイズも大量にあるしデマもあるが、やはり「正しい知識」はある。
ただ、みんな探すわけではないし求めてない。「情報として得られる不安」に「情報として得られる効くクスリ」を求めている。もともとの不安が、「科学的見地により発生する」訳ではないから、いくら「科学的方法にて追求しようが」解消はしない。


まあ、主婦層なら、昔なら、みのもんたがなんかしゃべったらだいたい終わってたのだが、という程度には、みんな適当なんだよね。
本当に、水が汚染されたりしたなら、個人レベルで海外脱出とかじゃなくて、こう、移民船みたいなことを本気で言いだすだろうし、みんな、思いの外、「自分の現実」の中で適当に不安抱えて適当に解消するというお遊戯をやってるんだよねえ。