別に天国でもないし地獄でもない。地続きとはいうんだけど、稀に話題になって辿られるだけ。

オリンピックの話題で取り上げられる、福島の話題だけど。

東日本大震災、という話題なら、本来は福島ではなくもっと北も同時に語られなければならない。
いつの間にか、復興の主体は福島という言葉にリンクされていっている。
危惧していた通り、「福島は記憶されるが他の地域は忘れられる」。

震災後のストレス、という事に関しては、宮城も被害は同様と考えられるのだけど、今日本国政府への声が東日本ではなく完全に福島主体になっている。復興予算もこれからは福島主体に動くだろう。

本当に。
わけが分からないよ。

政府はほどほどに、普通の人から見れば無駄遣い気味に、福島県にリンクする人には不足気味に、お金を渡すだろう。
東北は不幸の観光地化する。他の不幸はどうも原発が事故らなかったせいで観光地化しない。
福島は、東京オリンピックの"飛び地"として把握されるだろう。それぐらいは逆に言えば"ちゃんとされるはずだ"。
でも、被災をそのまま記憶した福島とは違う。もう様々な形で被災を再構築された、滅亡の神話としての震災・原発事故である。
もはや被災者も、いったい自分が何を失ったのか周りの人に聞いて構築した得体のしれない被害を感じているかもしれない。

いつの間にか、万の単位で実際に失われたこと・それに続く関連死、それへの対処とかは失われ、五十年後に訪れるかどうかわかりもしない被害に向けてとか、
いったいこれは「にほんを気にする人たちの発言なんだろうか」、そう思う。

不思議なんだよねえ。
よほど、ボクよか他人のことを心配する人たちのようでいて、そのわりにはその見える範囲は狭いんだよね。
福島の人は、非難するわけではないけど、移住に際していくらかのサポートはもらったと思うけど、宮城の人はどうかな?そういう視点で考えたことのある人はいるかな(福島の人はそういう視点は持ってたりすると思うけど、東京の人はどうかな?)

これから、どんどん、生の被災の姿は忘れられる。津波のシーンは繰り返されるけど、今後、仮設住宅とかはほとんど忘れられるだろう。
人間とはそういうもの。
メディアというのは、マスコミに限らず、我々がこうしてしゃべっていることもひとつのメディアで、やっぱり、目立たないと忘れられるんだよね。
被災もしていないのにどんどん過疎化して人がいなくなっている土地なんかは、一切支援されない(寂れて当然とか言われるわけだよ)。
どうするんだろうね。