「人は何のために生きているのか。 - 自省log」
「とにかく生きている。だから「死ぬまでに何をするのか」を考える - シロクマの屑籠」を見て。
んな事考えたければ考えりゃいいけど、それでしんどくなるならやめたらいいのにねとか思うようになったのは、おそらく中高の時代だとは思う。
その頃には、荘子と老子は読んでる。個人的には荘子の方が好みです。
だからもし、誰かに「何のために生きているんですか?」と聞かれたら、私は「別に…。」と答えるほかない。生きる目的、生きる理由、生きる根拠なんてものは無い。そんなものは存在しないことをいったん認めたうえで、じゃあ、この無目的な生を、どのような指針で転がしていくのか、考えればいいのだ。
今、私は「この無目的な生を、どのような指針で転がしていくのか、考えればいいのだ。」と書いた。でも、実際には何も考えなくても構わない。例えば、本能のままに飯を食い、欲望のままにギャンブルに嵌まり、野良犬のように死んでいくとしても、それはそれで人生だ。無目的な生を、何も考えないまま生き続け、そのまま死んでいくこと自体は、珍しいことではないし、たぶんいけないことでもない。道端のタンポポが目的も無く咲いていることが自然なのと同じように、何も考えずに人間が生き、何も考えずに人間が死んでいくのは自然なことだ。「無目的な生を、どのような指針で転がしていくのか」なんて発想は人生のオマケみたいなもので、あってもいいけど、なくても良いものだとあらかじめ断っておく。
とにかく生きている。だから「死ぬまでに何をするのか」を考える - シロクマの屑籠
/人◕‿‿◕人\わけが分からないよ。
社会一般の幸福とか不幸は、まあ、なんとなく社会で決まってそうだけどさ。
目的も、不幸も、幸福も、「キミ」が決めるもんじゃないの?
無いのかどうかも、ボクは分からない。「キミ」が決めることだし決めたことだから。
「いつ死ぬか分からない?」
いや、統計で、日本人男子の平均寿命(キミの年齢の平均余命)とか見ると、あんまりブレはないよ。
「自分が生きているうちに何がしたいのかは知っている?」
いや、今の時点ではって但し書きつけといたら?時と共に、結局「過去の欲望に縛られる」からね。
過去の神棚に縛られる必要はないよ。権現とかって考える必要ないからさ。
思い出とか記憶とか、アッサリ捨てちゃってもいいのよ?
まあ、そもそも、ライフをハックする必要すら元々ないんで。