ぼんやりと。
我々は「真実」を語らない。
我々の言語は、数多ある世界の事象を「抽象化する」事によって初めて、事物を語る事が可能な訳だが、そういう形で世界から事象を切り出し、誰かに伝える形にするという事は、間違いなく、「事象そのものを相手に伝える事にはならない」。
単純に、例えば、「しいたけ」という言葉によって何かを伝えようとした際に、伝える側がイメージした「しいたけ」と、伝えられる側がイメージする「しいたけ」は一致するものではない。「一致していると信じている」という、ある種の奇妙な合意によって、言葉は伝えられるのであり、実際に再構築されたイメージが正しくもとのイメージに一致しているとは限らないどころか厳密には一致するはずもない。
なお、今考えた「しいたけ」は、そうめんの出汁に旨味を奪われ出汁の中でゴム様になった、味気もなにもないもとは干されたしいたけであるが、多分これ一定年齢以上の世代でかつしいたけ出汁文化圏の人間じゃないと伝わらない。
伝達には意思が介入する。
今の例であれば、世界を「しいたけ」と「しいたけ以外」に分け、「しいたけ」を伝えた訳だが、それは伝える側の「意思」が介在する。無論、伝えられる側にも「意思」が介在するのだが、しばしば、先程書いた「奇妙な合意」によって、伝えられる何かがあたかも「事実」であるかのように受け取る事がある。
世界の数多ある事象から「しいたけ」という事象を切り出し伝える、という事、そのものは伝える側が選んだ事であるし、また、受け手も同様に選び取っている。
むかーし読んだ現代用語の基礎知識(最初から最後まで読むというやり方)で、「情報には意味付けがある」みたいなのを見た記憶があるが、まあ、これまで書いている事も大体は偉い先生がもっと適当な言葉で書いているであろう。
嘘というあまりにも人間的な行為。
伝える「事実」を「虚構」に変えてまで、他人に伝えようとするのは、例えば単に「しいたけ」を伝えようとする事より、よほど強い意思があるとは思えないだろうか。
ただ、「嘘」であるが故に、その言葉そのものから意図を読み取る事は難しい。
虚飾、事実の中途半端な提示、印象操作というのも、「嘘」の一つではないだろうか。
ただ、嘘というのを「隠す」という行為が入る為、さらに強い意思があるものと思われる。
というのを。
よく分からないけれども、はてな人力検索に私が匿名投稿した内容が伊藤直也さんに筒抜けになっていたのってそんなにまずいんですかね?
— なおやさんへ (@neenya00) 2017年9月13日
投稿→数分後に削除されて来たメール→当日中に伊藤直也さんから私の弁護士から連絡→翌日弁護士から私の所にメール
と、なっているので証拠ありますけども
みたいので考えた。
これが「人間の本気」ってやつなんだろう。