意外と「素朴な感情」というものは失われていたり歪められていたりするよねえ。

なんか連作みたいになってますけどすまん。


晩婚化、少子化というのが、どうして先進国で遅くなっていくのか、という事に関しては、エロチシズムが男女平等社会を達成しようとする中で、性犯罪や男女差別の根幹として捉えられ、性の活動が抑制的になっているから、という事は常々考えています。


私は、男女平等社会を実現する上でエロを抑圧しなければ達成できないというものではない、と思っているんですよ。
女性の同性の性的魅力のある姿に嫌悪感を覚える原因が、長らく続いている文化コードとしての、「女性は男性に襲われるものである」という前提に成り立っているのではないか、そのように幼少期より教え込まれた末に、性的なものに対しての嫌悪感を強くしているのではないかと思ったりするのです。
精神的去勢といいますか。


エロが氾濫すると風紀が乱れるという理屈はわかりますし、感情も理解するのですが、もう「気持ち悪い」という感覚を持っている時点で、それは「エロい」ものではないのではないかと思います。


女性が性欲を持っていていいし、だからと言って他人に性行為を強制される事を受け入れる必要は全くない、というふうに私は考えているのですが、わりと多くの人はそうではなく、「エロは(社会的には)よくない」から「気持ち悪いと考えるのは自然」と思っているのではないでしょうか。


この先にある、「女性の男性嫌悪」「男性の女性嫌悪」が増えていくのが、正直嫌なんですよね。
逆に言うと、この手の嫌悪感ってのは、感じる事はないし逆にこの手の嫌悪感を表明するヘイターは、好きになれんのですよ。
「こういう漫然とした集団への嫌悪感の連帯」とかは最悪ですね。


女性が女性の体を気持ち悪がったり、男性が男性の体を気持ち悪がったりするのって、不幸だなと思います。
軽いやつなら、生えて来た毛を剃るとかあるかもしれません。まあそれですめばいいですが、自傷とかに向かう事例もあるかもです。
少子化の根深い所には、こういう「自分の性に対する嫌悪」ってのがあるのかもしれないと思うと、なんかやりきれないなあという気もします。
昔の道徳に、「子作りにならない性行為は不道徳である」という意識があったり、「快楽を悪」としたりってのがありましたが、そういう明文化されていて(まあ神父さんは裏ではそれを乗り越えてたりしますね)禁止されている事よりも、誰かが強制するなにかであるというよりも、教育として植え付けられていて自分が自分を罰するみたいなのって、公衆道徳の内在化という事でいいんでしょうか。


それに、こういう形でヘイトスピーチ化するのって、良いことでしょうか。議論の土台になるなにか出来ているんでしょうか。
そもそも、最近は、半日くらいそのネタで議論するようなのないですよね。みんな、仲間内での会話に終始して、積極的に議論している人ってまあないですよねえ。学者先生でもあんまり議論見かけないですしね。
困ったもんですねえ。