「事実」が「腑に落ちる」場合。

その「事実」なり「論理」によって「何かしらの感情が解消される」場合に「腑に落ちる」のであって、それが「物語」として「上手く出来ている」なら出来ている程、「ストレートには解消出来てない証左となる」。

人が何かする動機は極めて個人的なもので「我が儘」なものであるけども、その「我が儘」に目を瞑り「自分はこのように出来ている」と言うのは、だいたい外れる。
間違い無く、人は「そうしたいと思って行動する」。本能によって翻弄されてるのはまさにその「思考」であって「行動そのもの」ではない。