感覚と言語の間。

  • 感覚をそのまま伝えることは出来ない。
  • 言語で感覚を共有は出来ない。
    • 「この感覚」は「こう表現する」という学習の結果。
    • 「同じ感覚」も「違う感覚」も、さしたる根拠無く言っていること。
  • 「感覚器からの刺激」を「好き嫌い含めたパターン認識」して、「知覚する」。
    • ごく微量・目の前にない・何を連想するか、などで、「意識として感じている匂い」が変わる。
      • 酷いケースとしての、食わず嫌い。
    • 一応、話の本筋ではないが、感覚器の異常、中枢神経系の異常、で味覚の異常が起こる場合はある。
      • 後天的にドライマウスになってたりとかすると、味覚異常がわかるが。
      • 他にも変な所があれば分かるが、ふつーの人は大抵感覚器から神経の発火に至るまであまり変わらない。
  • 味覚はちょっとした事で変わる。
    • 普段食うミントガムと焼肉屋の後のミントガムは、刺激が異なる。
    • 「同じものを食っている」という認識で味の差を認識しないだけ。

単純にいうと、

  • 食って旨いのではなく、旨いもんというのを食って旨さとかを学習する。

ので。

「感覚が同じ・違う」かどうかというのは、「相手の好き嫌いを推測するため」などの場合じゃなけりゃ、「考えても無駄」な訳で、
そりゃそんな考え方「だから」生きづらいんだろう。
端的に言えば、「生きづらく生きてるんだからそりゃ生きづらいだろう」。