ALSの前に。

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ALSの人を殺した医師の問題について、わりと心のひだとかを読まずにいうが、「嘱託殺人」であると思うし、これを尊厳死安楽死の話と結びつけるのもちょっと困るなという気持ちがある。


人の苦しみは他人は分からないものだし、想像は出来るものの、わりとその時の立場である健常者の視線から離れられないものだなとも思う。
QoLは、かなり個人的なものであり、一応一般化されて対応はされているものの、それは例えば疼痛であったり、客観的な指標で作られている為、心の奥底にふれる事はない。


死が救いになるのは、死ぬ直前までであり、死んでしまった人が幸せなのかどうなのかという事は、宗教的事柄であり他人が勝手に考えるものである。
最終的に救われているのかどうなのかは分からない。死後の世界は少なくとも現世の価値基準で客観的に測れるものではない。


そこの線を踏み越える事は、簡単にやってはいけない。


金の為に死ぬという事はいけない事であるような雰囲気があるが、実際多くの人が金の為に死ぬ。金があれば生きているだろうという人は結構いる。金の為に殺される人も多い。
では貧しい人は薬殺されるのかというと、そういう事は生活保護なんかで社会が救うという事がある。
難病であっても指定難病であれば、生活を助けてもらう方法がある。そうやっていても死ぬ事はあるが、生き続けられない訳ではない。
疼痛に関しては痛みの緩和として薬はあるし、人生が苦しい場合にもケアは受けられる。
とは言え、それはあくまでも標準的な救われる道に乗っかればという事であり、残念ながら苦しみながら亡くなる方はおられる。


苦しむとか苦しみという事でいうと、なにかと比較して苦しむとかある訳であるが、ここがALS患者では、「元々健常者だった頃」がベースになっている所があるのだろうとは思う。元々健常者だった人が不自由になりしかし明瞭な意識を持っている場合には、その不自由さに愕然とする所はあるようだ。
しかし、それが苦しみを持って受け入れなければいけないのかというと、それは本当は違うのだけど。


こんなはずではと言いながら、FXで自己破産してしまった人は、自業自得とは言われるだろうが、まあそれでも別にその破産した状態を受け入れて、現状から始めればいい話であるように、その状態をどう受け入れるかってのはとても重要であるように思う。
現状を受忍せよという話ではない。今を生きるというやつである。天罰的なものを背負う必要もない。生きている事にそもそも根拠なんてない。ただ、今生きているという現状を受け入れ、それを続ければいいだけの事である。
できない事はあるかもだけど、映像見て批評して飯食ってる人もいるし、食えてない人もいる、まあ、でも生きてはいるんで。
マイナス思考の人は、人生を不幸に思うだろうし、プラス思考なら、幸福に思うだろう(幸福というよりは楽しいと思えるくらいか)


自分の幸せ不幸せを決めているのは、自分自身なので、考え方でどうにでもなるものなのだがなあ。