在特会の御蔭で、在日差別問題の再構築が為されたようで。

【レイシストはん】在特会京都街宣もカウンターが圧倒(4・20)【はよ帰りよし】 - Togetter」を見て。
記憶力ねえなあなのか知らないまま育ったのかは知らないけど。
京都で在日コリアンが部屋借りるのが至難だったとか知らない世代が湧いてんだなあということを思いました。
「在日・犬・猫お断り」ってのは十年前はマジでありました。家族入寮とかはそういう背景もあってのこと。

京都弁で差別お断り、みたいなやり方は、まあ京都らしい二面性っちゃらしいのではあるけど。
結局、ネット映りしかどちらも考えてないのですよね。
京都アピールは好きにすればいいですけど、その事自体が微妙な気持ちになるんですよね。
光都市のイメージが〜とか言ってるようでは、既にあった今ある差別はスルーする感じなんでしょうね。

京都は、現在もモザイク状に人が住み分けられていますし、その辺りによって建物の形・古さなんかが浮き彫りになってしまってる、そんな街です。
土地に差別が刻まれていると言っていい。
アファーマティブアクションが実際に行われ、その中途半端さが逆に街を分けるような形にもなっている所です。丁寧にどれが証左とは申しませんが、DPZの勝手に外から写真撮った話が、「あ、ヘタするとヤバイな」と思うような形で見えます。
やらんよりはマシだったでしょう。でもやったからと言って終わった訳でもない。公的権力ではない誰かの力を借りるのも悪いとは申しませんが、悪い結果を招くこともあります。
そんな歴史が嫌というほど積み重なってます。で、何でかみんな京都の近代史は学ばないんですよ。せいぜい戦後ぐらいから。
水平社運動が京都から起こった、ってのは、伊達や酔狂じゃないんですからね。

まあ、アンチレイシスト自体はいいんですけど、その旗印がそれかよ、という、げんなりした気持ちにはなりました。