「疑似科学を統計学的に否定すべき理由」を見て。
細かなツッコミを。
念の為、元の文意を否定するものではない。別に肯定もしないけど。
科学の方法論としては・・・・・・
「理屈より事実を重視するのが科学」というのは、釣りみたいなものだとは思うが突っ込んでおく。
「分子生物学的な理屈がなくても効いているとかは別に統計学という理屈は最低限用いている」だろ、という事で。
それは実験してみないと分からない事。
「資生堂の消臭スプレー」の効果は、正直な所、効果を実験したものがないと当てにならないと思っている。
当たり前なのだけど、ネズミと人とは違うし、in vivo とin vitroは違う。
- ミクロな理論をマクロに展開する場合
- 生物みたいな複数の要因がからみ合っていることが予想される場合
は、実験室の結果が実際の結果となる、とは言えない。中に入っている銀を含む「ゼオライト」が効果があるのかも知れない。
腋臭症は、自分が思っているほど腋臭症な人が少ないというものであり。脇にスプレーすることで発汗が抑えられる効果もある(ので銀を含まない消臭スプレーでも効果がある訳で)。
そもそも、現実に当てはめるには、量論は最低限必要になるだろう。安全性は大丈夫だと思うが(除く銀皮症)。
アリストテレスvsガリレオ・ガリレイは、評価が微妙である
真空ではなくても同じことが出来るのかと言われると、まずもって難しいと思われる。
空気抵抗等の問題がある。
実際に実験をやったのか、とかが、この辺りの科学者は微妙。まだ実証主義とは呼べない。
その事例は悪魔の証明の話ではない。
一つ。偽医療の問題は、悪魔の証明の話とはちょっと違う、プラセボの問題や比較の方法論という事が主な問題になる。
一つ。検定の使い方を誤解していると思うんだけど。そもそも、確率的論理を飲めない人には、検定を使って説得するとかが無駄。その場合には、「じゃあある人には効いてある人には効かないのはどうして?」という説明を延々とお願いするしかないだろうけど、検定ではなく、例えば標本平均の実際の差を持ってきて「その差の追求に意味あんの?」とかやればいい。
どーゆーことかというと、例えば、100点満点のテストで、Aクラスの平均±標準偏差は50.1±10.0、Bクラスの平均は49.9±10.0、だったとする。この場合の、「0.2点の差」って、大事かね?ということで。
とある100万人のうち、50歳までにガンになる人は2%だったとしよう。ある食べ物を取っている人と取っていない人では、ガンになる確率が0.001%だけ変わるとする。
食べ物の忌避に意味あるんでしょうか。という事。
これが例えば抗癌剤の効果だったりすると、アッサリ意味を否定されるだろうけどねえ。