そんなところで対立してどうなるという気が。

福島第一のトリチウム水にイチャモンをつける韓国は、その8倍以上のトリチウムを日本海に放出 – アゴラ

福島原発はそもそも壊れてて、特に地下経由で謎の漏れ方もしている。
環境は無論監視されているが、数字の足し算では測れないリスクがある。


地下に氷の壁というかフェンスっぽいものが出来ている、というのもかなり推測になるし、どれくらいの緻密さかなんて推し量るしかない。ついでながら、地下構造がそれで何年持つかなんて予想つかない。
どのように海に流れ込むのかもかなり曖昧で、今だって全量回収とは言い難い。


お台場のアレを思い出してもらいたい。調子がいい時は確かにキレイになるが、雨なんかで前提が崩れて汚れている可能性高いが。
ただ、アレ、平均的には十分にキレイにして放出しているらしいんだ。


我々はいつでも見落としがあり、また、携わる人間が全員善良であり誤魔化しなく物事を行う前提では考えてはならない。不正は系統誤差を産み、それらは統計処理では除去出来ない。
不正、というとアレだな、殆ど不正としてやられている訳じゃない。論文は実はアドホックに改訂され世に出てくるし、レビューアーはレビューアーなりの観点で見てしまってSTAP細胞が生まれた。多分レビューアー悪いやつじゃないけど甘い見方には寄るんだよ。科学者だって人間の性は覆せない。
リフレ派かぶれの某科学者とか声高に財務省陰謀論唱えてるけど、ああいう見方になるとマジで武田某と同じカテゴリだと思う。


私は、長い将来に渡って何人が亡くなることになるかしらん放射能漏れの話よりも、現段階ですら復興とは言えない人々に対して何らかの補助を出す方に金使えよと思っているが、
10人か100人か分からんガンの話より5万超える未だにプレハブ小屋から出られない生活が守れない人たちをいかに助けるかの方が大事だし、二十年後に人生再設計とかやられても効果が低いんだよと思っているのであり、
いい加減地方復興としての福島を真面目に取り組めと思うんだがなあ。


あ?韓国とかどうでもええわ。

昔、あの時確かに逆風ではあった。

スパコン「京」の運用終了。「2位じゃダメなんですか?」は何だったのかを改めて整理する(伊藤伸) - 個人 - Yahoo!ニュース

しかし、もうちょい使われるだろうと思ってたが、Fのサイドビジネスとしては広がりなかったなあという。客も速度求めないので色々糞づまってたなあ。

2019/09/10 01:08

しかし、もうちょい使われるだろうと思ってたが、Fのサイドビジネスとしては広がりなかったなあという。客も速度求めないので色々糞づまってたなあ。 - houyhnhmのコメント / はてなブックマーク

お国の施策としては微妙、Fの商売としては、売上は知らないけど、一般企業にはあまり売れてないんではと思います。
クラウドのせいではないよ。まだ一般企業にはクラウド浸透してないですし。


アレの民間用、コアは詰めるしメモリは早いし、Fのエターナス早いし、いい事多いんですが、
価格がね。


ついでながら、良いサーバ入れてくんないんですよ。お客さんが。


今手元にある業務に対しては、費用対効果低いのは確かですが、高速化すると何がいいって、今まで時間かかるからメモリ足んないからやれなかった事が、パッと出来るようになったりするんですよ。


ただ、今も若干ありますが、HPCを使おうとするお客さんがあまりいなかった。Hadoopとかそっちが人気はありましたが。


まあ、ねえ。もう少しHPC業務で流行るといいんですが。

四十代のお母さんに合わせられるような校則は、勘弁してほしいと思う。


「40代のおばさんが高校に再入学したら白髪染めは校則違反?スク水はまずくない?」いろいろ考えてみたら「40代が無理なく過ごせる校則は若者にも優しいのでは」という結論に - Togetter

タイトルで、言ってしまった気がするが。

若い子とは明らかに感性は違うわけで、四十代の価値観を若い子に校則として押し付けるのは勘弁してほしい。

同世代での同調圧力すら不要だ。

 

 

てか、校則ってどこら辺が必要なのか分からないんだよなあ。

 

 

あと、人の格好アレコレ言う趣味ないし興味ないものは別に何着ようが構わない。知らんがな(´・ω・`)

嫁なら良いとか思うし、そうでないなら全くどうでもいい。どこかに需要はある、というのは、「オレではないが」という意味だぞ。

 

 

四十代の感性で若者に通じると思ってるのが、タチの悪い締め付けであり、校則ってそんなものが沢山あるやつだろ。ちょっとは昔思い出せよ。いやホント。

 

ポン酢と言ってポン酢醤油を指す文化はかなり根深い。つーか、ポン酢醤油ってまず言わない。

妻に「ポン酢買ってきて。間違えないで」と念を押されて買ってきたら怒られた……「理不尽」「普段の食卓を把握すべき」ほか解決策など - Togetter

ポン酢というもの単体ではまず知らず。味ぽんが強かった気が。
大阪だと旭ポン酢らしい。


水炊きでやたらポン酢(醤油)だったし、ポン酢とは、醤油と酢混ぜたもの認識である。醤油がなければ単なる絞り汁だし、その手のはポッカレモンとかそういう感じだった。


私は買い物はLINEでメモる癖があり、ぶっちゃけ、脳内バッファに買い物が入らん。あと、洗剤とか柔軟剤の銘柄は覚えられん。
LINEは結構便利。


まあ、それはそれとして、そんなに鮮度とかを気にしないのであれば、素のポン酢プラス濃口醤油でポン酢は作れるし(そこに味の素を足す、のがわりと昔のデフォルトで、水炊きって昆布出汁使うから味の素とは合うのよね)、量だけ目を瞑れば、そんなに困るものでもない。
困るものでもないのだが、喧嘩になるのは、おおよそ無駄に正しいポジションの奪い合いやってるのだろう。


どっちが正しいか、というのはあまり意味がない。
お使いではある程度の空気は読まねばならないし、読めない事が問題になる。
例えば、大変お得だからと言って、ポン酢並べられたら邪魔になる。安いのは良い事だが賞味期限もあるから、大瓶で買われるのが嫌とかもある。料理の鉄人のキッチンスタジアムなら様々な食材が用意されていてさぞかし便利だろうと思うかもだが、キッチンや食卓は無限の広さを持つわけではないし、流しの下の収納は大抵埋まってるものである。


ま、大抵この意識のズレは、主婦にとっては家は息抜きの場ではない現場であり、旦那にとっては家はオフの場だからってのもある。


仕方がないっちゃ仕方がない。ウチは共働きなのでそこまで差はない、と言いたいが、嫁がかなりやるのでほぼ嫁が選ぶ。買い物は行きたくないとかウザいこと言わないようにしてる。てか、そこらで、「自分は嫁にこんだけしてて、嫁は自分にこんだけしてて」みたいな計算する事自体がストレスなのでしない。頼まれれば動くよ大抵の事は。


まあ、そんな感じで生きてる。

塩除草の微妙さ。

松はそれなりに塩害に強いのだが、流石にそれでもやられる。


いや、それでいいなら除草剤不要だが、環境負荷が滅茶苦茶あり、土が死ぬ。おまけに、そんな土地は再利用不可だ。
そこまでの影響出るほど塩を撒く意味は分からないが、ガーデニングに使えるような話ではない。


とは言え、土の表面からは早めに塩分抜けるので、雑草から生えてくる。まあそういうもんです。

京アニの事件は、それなりに特異的な事件だから、特例は発生し得る。

Twitter

犯人が単独犯であるとかはあるんだが、
「会社の元気な人が、多く殺された」事件って早々ないんだよ。
故に、特例法は出来ても不思議ではない。東日本大震災でも、特例法ではある。


一般的な法にするにはこの規模の事件がそこそこ起こる必要があるが、そんなもんは稀であってほしい。


なお、控除という話なので、はっきり決まるのはもう少し後でいいんですよ。今から話し合いされるでしょう。

警備とは、単に人を行儀よく並ばせるだけのものではない。

示威の問題。

視界何メートル範囲に人員を配置する、というのがあり、昼間は広めに、夕刻や夜間は狭めになる。
無論混雑状況によっても変わるが、警備の連携に加えて、揉め事を起こす人の視界にちゃんと入ってくるかの問題がある。
無論、声掛けを頻度高めにしている、等の要因もある。

記憶の問題。

コンサート会場では、違反したら警備員に取り押さえられて外に連れ出される、等あり、実のところ、そういうのは起こっている。
因みにコミケでも警官がいる。スリや盗難は起こっているし、行儀いい人間ばかりではないのだが、そういう場面に出くわすのはわりと少数である。
そもそも、祭りの人の中で迷惑行為を行うのは割合にするととても少数で、AKBの握手会に毎回包丁持った人が来る訳ではない。
そもそも犯罪行為だって、犯罪行為そのものを目的としてはいない。入場でラッシュかけるのは決して民度が高い訳ではない。

ルール、権威の問題。

例えばコミケは、大手サークルから壁とかに配置するようにしていて、相当練られている。色んな人から見られている場合にはルール違反を犯しにくいのとかある訳だけども。
また、警備員は問題ある人を場所から排除する権限がちゃんと認識されている場合とされていない場合がある。AKBとかでは握手会等で時間制限で引っ剥がす訳だけど。金払ってようが問題行動起こしたら即退場とか。
また、ルールを破った場合にトクするコトがない場合、もそうだ。本をなるべく早く買いたいという人が、敢えて無茶苦茶になる並び方はしない。

手荷物検査

示威に近いが犯罪計画している人ならともかく自然発生的なものは警備がある事を意識するので起こりにくくなる。

酩酊

酒、とか、コンサートでの気分高揚とかでは、気が大きくなるので逸脱行為しやすくなる。
これは滅茶苦茶大きい。

時間帯、明るさ

夜間、暗いところで問題が起こりやすいのは、もう言わずもがな。

コミケというイベントは、ちょっと異質だが、参加者の質がそうなのではない。

参加者の多くが、本を買って帰るイベントであり、そもそも列が物販待ち列というのも重要。そして、コミケで相当準備しているところもある。


来てる人の質ではまずない、と思った方がよい。
大半シチュエーションである。

あいちトリエンナーレ2019感想。

名古屋暑い。いやもう都市部みな暑いんだろうけど。

名古屋の地下鉄

エスカレーターで片側開けてないのが衝撃。伏見駅。階段の高低差もちょっと緩めに思える。
この人口密度はいいな。設備古めだけど全体的にゆったりしてる。しかし、やはり夏はつらいなー。もう思考力もないっすわ。

市立美術館の方

食い足りない。
イチ作品を丁寧に見れば、かなり時間がかかる。頭の中でこのコンセプトなーというところと結び付くと、ぶっちゃけそこまで会場が広くないなーと思う。
テーマが"情の時代"だったかと思うのだが、これ情報と感情のダブルミーニングなんだと思うが、小規模過ぎて圧倒さ
れないのだ。あと、作品から多彩な解釈が広がるようなもの、ではなくて、モノゴトの表面をカンナで削った薄片を見せられているような気になる。
もう少し作品ごとのテーマが重なってると良かったんだが、ハーモニーみたいなのを感じにくかった。

芸術文化センターの方。

一言で言うと良かったのだが、ある種ちと悩ましいものも感じた。
アートとして良かったのかと言われるとちょっと良くわからんというところで、ポリティカルな部分の表現は強かったし、そこそこリベラルな部分のアートでもある。


表現の不自由のコンセプトで集められたらしいものと外側に置かれているものの境界線はなんだったんだろうな。


逆に主張が抽象的だと面白くないとも思った。あと、せっかくなのでも少し説明大きくしても良かったんじゃと思った。
全体的に、説明が妙に控え目。

アートのリアルってこういうものだろうな。

今回エロの方の表現の不自由とかが組み入れられていないのにも納得は個人的にはしていて、エロの規制はかなりややこしいから(アート文脈では結構解放されていて、大衆風俗的に規制されている(この境目がかなり日本的)から)というのがある。
このコンセプト分けは日本特有かはともかく日本の風土にベッタリくっついている。
で、正直今の方が昔よりややこしく厳しくなっているところもあるので、外側に対となるアートを置けないのだよね。

余談: 多分津田とあずまんだったと思う。

昼前頃、人の流れの途絶えるタイミングで市立美術館のところで金髪を見かけた。
横に女性がいたが嫁かどうかは知らん。スタッフに声かけてたから多分津田だと思う。
客の方は見てなかった。うん、ホントはもうちょい愛想あっていいと思うけど、アートって不思議と声かけしないのよね。写真OKなマークが見当たらなかったのでスタッフに確認したけど、津田はよく分からない動きしてたのでスタッフかどうかは分からんかった。このあたり、大勢の人が来るイベントなんだから露骨に分かりやすいスタッフ表示あったらいいのに。
あずまんっぽい人は、なんつーか「ドリーと私」みたいな展示物のところで見かけた。多分。観察日記みたいなのをパラパラページめくるやつがあって、老眼鏡かけながら「読めない」みたいな事をつぶやいていた。やたら横から見てたので、そりゃそうだろうなあとは思った。まあ、パラパラめくるやつもめくるのが早くて訓練された人しか読めないとは思う(読んだけどモヤっとしたんだが)。
なんかあずまんっぽい人とあれ作者なのかな記念撮影してたんだが、お客さんは侵入禁止の奥で写真取ってた。「おめでとう」とか言ってたのだが、なんであずまんの露払いみたいなのをしてるのかよく分からなかった。あずまんっぽい人が偉そうにしていた訳ではないんだが、あずまんっぽい人の微妙な言葉選び含め、感じ悪く思えた。口を濁したら後の「おめでとう」は何を避けたか丸わかりでしょう。慇懃無礼という。良くも悪くも演技出来ないやつだなあとは思った。


二人見た御蔭で、なんというか、
冷めた。

FUDも良くないんだって。

SNSで拡散されているハンドメイド発酵食品が危ない理由→数年おきに流行しているという指摘も「空気中の雑菌での劣化による凝固です」 - Togetter

いやね。
発酵食品自体は別に作る事は簡単だし実際に漬物とか家で作ってたりした訳ですよ。
テレンス・リーバリに危険性を煽るのは、実際に成功体験を積み重ねてしまう人たちにはむしろ逆効果ですよ。めっちゃ難しいならともかく、成功するので。

警察の要請の可能性は高い。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com


一応言っておくと、警察は事件に対してはかなり対応できるのだが、予測つかないイベントのようなものに対して割く労力があまりない。


超カンタンにいうが。
他のイベントで犯行予告があった場合でも、ほぼ100%中止を要請する。国家レベルのイベントでどうしても避けられない場合には全国から人をかき集める場合があるが、日本全国でも一箇所のみであるし、ホントに日本全国から人を集めて警備しないと無理。そしてあれ物凄い金がかかっている。全国から集めてきた警官分の人件費があり(残された人は三交代から二交代になったりして暇ではない)、宿泊費があり車込みで移動であり移動にも時間がかかるしな。いきなり現地で警備やれないからレクチャーの時間も必要だし、国家予算じゃないと無理だからね。
テロ行為なんかは、とにかく止めることは難しい。沿道に並んでいる警察官は、あくまでも示威であり警察官見て犯人に諦めさせるのが目的になる。至るところに警察を配備しないと、他の場所に仕掛けるとか平気で行われる。みんな隙を狙って周りをうろちょろして仕掛けるので、結構たいへんなんだよ。

京都っぽさとかは小京都でも相当適当なのでガンガンやればいいし、奈良も合体させていいが。

「国家最大級」の京都再現プロジェクト、中国で進行中。度肝を抜かれる全貌とは? | ハフポスト

大きさは要らないのだが、出来れば京都タワー変形させてほしい。


なお、京都は、昔からのものを平気でカスタマイズしてるので(特に観光地は原型もあまりない)、あんまり気にする事はないし、大江戸温泉物語レベルでもいいと思う。
ただ、これだと山は再現されんよなあ。
いいけどさ。

芸術の中の政治性に気楽に介入されるとそれこそアレなんだが。

表現の不自由、というところに、出て来ているのは、本来どう見ても抑圧されるべきではないレベルの表現なのだが。


何処にヘイト要素があるのか。
何処に不敬要素があるのか。


大使館の前はやり過ぎだと思うけどさ、アメリカで原爆展は一応やれたんだぜ。ロスアラモスではダメだったけど。
日本ではガソリン携行缶持ってくるぞみたいな脅迫がありそれに屈したわけだけど。


日本は国会議員がテロ行為を容認する(あるいはテロ行為の話は棚上げされて保護されない)発言をしていて、げんなりする。
脅迫されてる側ではなく脅迫する側に立つ議員には、公平性とは彼等が気に入らないものを狩る為の道具に見えてんだろうな。


チャイルドポルノ支持者は支持で勝手にすればいいけど、表現そのものが問題の根本になっているそれと、今回の表現の不自由展の作品とを一緒にするな。
少なくとも日本兵が実際にヤッてるところを映したものではないし、犯罪を肯定する内容ではない。
変な人が犯行予告しながら凸って来るので不自由になってるだけだ。単なる抗議だとか言うなよ。


そもそも弁当翁が理屈こねはじめたら、自分の意見と一致し始めたら、自省するのが知恵と言うものだ。南堂の意見に首肯し始めたら脳が正常に判断出来ていない証左とかと同様。

多いか少ないかは中見ないとねえ。

600人はサンプルサイズとして少ないのか? 統計学 - Togetter

社会学の場合には物理的制約があるし、物理的制約なければ全数調査する方がいいのですが、おおよそそんなにブレないだろう話に対してサンプリングを行うのであり、どう頑張っても確証は得られない(確率も言えない)部分はあります。


ちなみに、推定統計は、必ず要因が統計的な分布を見せる(統計で扱える)前提はあります。
けど、「ナゾの力で偏りがあり我々には分からないかも」という判断には普通ならない(可能性がちゃんと提示できていればいいですが、ナゾの力は勘弁)です。


データは幾らでも積む必要があります。学問的には。
600人のアンケートを無視出来るだけの話をもって否定しないと、単にdisってるだけです。一つの学校に限って偏っていたとしてもナカナカあるものではないデータなので、使えるように考えるべきでしょう。


ちなみに、一般的には、「層別サンプリング」が行われます。ハッキリ分かってる要因については同じような重みになるようサンプリングします。
ランダムサンプリングは、見えていない要因に対しても同じような偏りになるようにやる方法です。
おそらくベネッセのもそれでしょう。

なぜ野党(左派)がまとまらないのか

という話をあんまり理解されていない人がいるのでいうと、
「分裂したから」
なんですよね。


自民党にも社会党にも右も左もあって、ただ大枠の話としてそういう右や左の立場という形でされていたのです。
日本にはむしろ純粋な右翼、保守政党がありません。が、純粋に左翼な政党もまたいないです(共産党が微妙にそうかもなあでもちょっと違うなというローカライズがあるんですが)


野党連合について言えば、現在の政党政治選挙制度の為に手を組む事が必要となるという事も忘れてはいけないです。小選挙区制は、制度自体がマイノリティの政治参加を拒むものになっています。その為に、選挙の時だけ連合するというのは、致し方ない所があります。
が。
やはり選挙の度にそういう事するのは健全ではないと思いますので、選挙制度は変えたほうがいいと思います。

インターネットが、情報によって人に感情を引き起こしている。

京アニの火災の件で、どうにも周りの人と感覚のズレにもやもやしている。


「日本の宝」って何?職人もいれば新人もいるだろうし、そういう風に色んな人が同時に亡くなった事について、周りが見ているものはなんだろうなと。


ただ、私は京都の人間で六地蔵あたりにも関係がないわけではなく、個々の人のイメージを持っているので違和感を覚えるのだろう。


インターネットと言ったが、メディア一般だが、情報を伝えてくる訳だが、その情報にはどうしたって見解が混じる。インターネットでは様々なメディアから流された情報が、グチャグチャになって転がっている。


私は、TVの向こう側にある作り手に対してこう殺人までの憤りは感じないのだが、「殺人犯を残酷に取り扱うべき」のような話が起こるのと同様に、沢山の情報に脳を揺らされていて、「一方的にとても近い関係性を持っている風に感じる」という事が、インターネットでは特に起こっているのではと思う。


これは悪いとか良いとかの話ではない。犯人に殺意を覚える人がいるように、犯人も京アニに殺意を覚えたのであり、かつて有名税と言われたものの正体のようにも思う。
これが京アニへの寄附の集まりにもなる。善意も世界を駆け巡る。


情報には感情も必然的についてくるのだが、メディアは正確なものからあやふやなものまで大量に報道する事によって不完全さを補う。伝える工夫は至る所で行われている。
そうやって大量に情報を浴びていると、近所の人や会社より詳しくつまるところ近いように感じるのではと思う。


こういう距離感のギャップがドンドン出て来ているのだろうなあ。